「愛知・岐阜車中泊の旅二泊三日」 古宮城

さて、城めぐりのイベントをこなして、本物の城めぐりに戻りましょう。 古宮城です。 前から来てみたかった所です。 縄張が凄いので、皆さんも調べてみて頂けるといいですよ。 古宮城は武田信玄公が馬場美濃守信房に命じ築城とあります。 馬場信春としても有名な方です。武田四名臣のひとり。築城の名手ですよね。 [caption id="attachment_2096" align="aligncenter" width="515"] ワンコっぽくてカワイイですね~。[/caption] 彼の築城したところは好きで訪れています。 [caption id="attachment_2097" align="aligncenter" width="515"] こっちもカワイイ、やっぱ、ワンコだよなぁ。[/caption] 訪れたのは、深志城、牧之島城、諏訪原城、ここは初めてですが古宮城など。 江尻城、田中城、小山城はまだ見てないですねぇ~。 いつか、ゆっくり見て回ります。 馬場信春公の縄張りは特徴的なものが多いと思っています。 ここ、古宮城もかなり個性的な縄張りです。 [caption id="attachment_2102" align="aligncenter" width="515"] 東城から南方向 [/caption] ずっと来たかった所なので、ゆっくり見て回りました 生憎と杉林に埋もれてしまって、ちょっと写真では、縄張りが分かりにくいです。 下が城の真ん中で左右にぶった切る大きな竪堀です。 [caption id="attachment_2105" align="aligncenter" width="515"] 真ん中を北方向にぶった切る竪堀[/caption] しかし、迷路のような土塁と堀が続きます。 西城から南方向の迷路の様な土塁と堀 凄いですねぇ~。 [caption id="attachment_2107" align="aligncenter" width="515"] 西城から西方向[/caption] 当時は東、北、南と現在の田んぼは湿地地帯だったようです。 [caption id="attachment_2108" align="aligncenter" width="515"] 西城から北方向[/caption] なので、かなりの防御力だったのではないでしょうか。 [caption id="attachment_2109" align="aligncenter" width="515"] 中央の竪堀の真ん中あたりから西方向[/caption] 西側は南から北への街道筋です。 [caption id="attachment_2110" align="aligncenter" width="515"] 中央の竪堀辺りから北方向[/caption] それを押さえるように作るのが、城の意味でもあるわけですから、いい場所にありますね。 馬場信春公の後半期の城は面白いですねぇ~。 おススメします。 諏訪原城は面白くて3回も見に行きました。 武田勝頼公時代に、国力があればまだまだ、負けなかったように思います。 いつの時代でもそうでしょうが、国力が無ければ勝てないのですよね。 一通り歩いているうちにお昼になり食事です。 すぐ近くにある、道の駅 つくで手作り村でご飯を頂きました。 自分は手作り村定食 ちょっと、値段が高いかなぁ。 嫁さんは、何故か「いのししカレー」 いのししは感じなかったとのこと。 何か、並んでいるのは、フランクフルトが有名らしいですね。 自分たちは先を急ぐので頂きませんでした。 古宮城跡の地図を載せておきますね。
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「愛知・岐阜車中泊の旅二泊三日」 駿河湾沼津SA 犬山城

久々にGPSアプリゲームの「発見!ニッポン城めぐり」攻略の旅です。 2000城をどうしても攻略したい私は、自分の住んでいるところから一番近い未攻略ポイントである愛知と岐阜に向かいます。 日付は11月23日~25日の話です。 初日は仕事を真夜中に終えて、名古屋方面に移動しています。 夜中3時頃、新東名の駿河湾沼津SAに到着して睡眠です。 [caption id="attachment_2137" align="aligncenter" width="515"]新東名の駿河湾沼津SAの車中泊スポット 新東名の駿河湾沼津SAの車中泊スポット[/caption] ここはちょっと他の所に比べるとかなり静かに寝ることのできるポイントがあるので、気に入っています。 写真だと右上のエリア(赤線の所)が、おススメです。 トイレとかの施設棟までは遠いのですが、トラックが来ないのと、皆さん、車中泊しているので、エンジンを掛けっぱなしの人があまりいないです。 こういう場所は、ホント助かります。 でも、こんな風に書いてしまうと、増えちゃうのかなぁ。 でも、こういう場所は分かる人はすぐわかるので、皆さんで仲良く使用できれば良いのですよね。 ま、それは良いとして、ここで朝9時過ぎまで睡眠を取ってから、再出発です。 初日は移動がメインだったのとこの辺りには何度か来ているので、その時、既に観光をしてしまっているので、今回、観光らしい観光はしておらず、城攻略のみに専念しています。 以下が今回の目標としている未攻略マップです。 [caption id="attachment_2138" align="aligncenter" width="290"]ニッポン城めぐり愛知県攻略図 ニッポン城めぐり愛知県攻略図[/caption] 名古屋と岐阜の県境辺りに残っている16か所を狙っています。 都市部は時間の割に距離を稼げないので、名古屋市内周辺の5か所は今回は無視します。 で、これを攻略した結果がこれです。 [caption id="attachment_2139" align="aligncenter" width="515"]グーグルマップのタイムライン機能で見れます グーグルマップのタイムライン機能で見れます[/caption] このゲームをまじめにやるといつもこんな感じですねぇ。ルートのログがごちゃごちゃした感じになります。 なるべく、一筆書きルートで効率よく回りたいので、いつもこんな感じになります。 おかげで、Uターンもかなり上手くなりましたよ。www 今回、攻略ポイントの中に、犬山城があるので、唯一、観光というか、写真が撮りたかった所です。 夜景が上手く撮れるかなぁ。。。と。 んで、その写真です。 [caption id="attachment_2140" align="aligncenter" width="515"]犬山城の夜景 犬山城の夜景[/caption] あんまり、上手く撮れてないですねぇ。。 [caption id="attachment_2141" align="aligncenter" width="515"]多少、良さそうな犬山城の夜景 多少、良さそうな犬山城の夜景[/caption] 幾分かこっちのほうが、良い感じですかね。う~~~ん。 ちょっと、使い方がぶっつけ本番で、予習なしでやった為ですねぇ。。 次回、というか近いうちに水島コンビナートの工場夜景に向けて練習しなくちゃかなぁ。。 マイペースでボチボチやってますので、応援よろしくお願い致します。
カテゴリーラベルのPC&GAME→ゲーム→「発見!ニッポン城めぐり」で絞ると、関連情報が出ますのでよろしくお願いします。
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東海を巡る真冬の旅 六日目 新城市 長篠城

続いて長篠城です。ここが早く落とせていたらまた、その後の設楽原の合戦は展開が違ったものになっていたかも知れませんね。 [caption id="attachment_3989" align="aligncenter" width="515"]長篠城縄張り図 長篠城縄張り図[/caption] 正に武田家にとっての運命の分かれ道。 写真にある通りこの時点で武田は最大版図となっています。かなりな勢力です。 [caption id="attachment_3990" align="aligncenter" width="515"]長篠城攻城時の武田版図 長篠城攻城時の武田版図[/caption] ここでの勝頼公の大きな選択が、その後の衰退へ導かれて滅亡となりました。 [caption id="attachment_3991" align="aligncenter" width="515"]左側二の丸と右側本丸を宇連川方向へ臨む 左側二の丸と右側本丸を宇連川方向へ望む[/caption] 自分が思うに決して武田勝頼公は愚鈍な人では無かったと思います。 自分が思うのは財力とカリスマ(斬新的な知力を含めた)の差ではないかと思います。 [caption id="attachment_3992" align="aligncenter" width="515"]左側本丸で右側二の丸 左側本丸で右側二の丸資料館方向を臨む[/caption] この兜が物語るように、鉄砲を最大限に生かす戦法への転換点となったことが大きいです。 [caption id="attachment_3993" align="aligncenter" width="515"]赤い槍が有名な長坂血槍九郎の槍 赤い槍が有名な長坂血槍九郎の槍[/caption] 織田はこれまでの間に、大阪本願寺との戦で、雑賀との戦で鉄砲を用いた戦を嫌というほど負けながら実感していることが大きいです。 [caption id="attachment_3994" align="aligncenter" width="515"]兜に鉄砲の弾痕 兜に鉄砲の弾痕[/caption] その負け戦から学んだ鉄砲活用法をさらに進化させて、上手く野戦に用いたというところが信長の凄さですよね。 [caption id="attachment_3995" align="aligncenter" width="343"]長篠城址の碑 長篠城址の碑[/caption] 負けても死ななければ良い、そしてまた戦して、また負けて、段々と戦が上手くなっていく、そういう判断力ってなかなかできないものです。 [caption id="attachment_3996" align="aligncenter" width="515"]本丸から真中左の資料館を臨む 本丸から真中左の資料館を臨む[/caption] 逆に武田はこの時点で信玄公の行った戦のやり方からはあまり進歩していないのですよね。 [caption id="attachment_3997" align="aligncenter" width="515"]攻城側の武田軍の陣に関して 攻城側の武田軍の陣に関して[/caption] この辺りの差が非常に大きかったのだろうと思います。 [caption id="attachment_3998" align="aligncenter" width="515"]本丸先にある川の合流点に近い野牛郭 本丸先にある川の合流点に近い野牛郭[/caption] しかし、遺言通りに上杉謙信公と和睦していればなぁ。。この戦自体勝っただろうと思います。 [caption id="attachment_3999" align="aligncenter" width="515"]長篠城周辺の史跡マップ 長篠城周辺の史跡マップ[/caption] しかし、ホント要害の地ですよね。 長篠城、500人で守ったのだからなぁ。。 まぁ、確かにあまり大きい城ではないです。 国土地理院の地図で見てみましょう。 地続きの北側しか攻めるところが無いですよね。 なので、こちらに水堀、空堀が巻いているのが分かるかと思います。 攻めにくい城だったことが良くわかりますよね。 合戦場との位置関係はこんな感じです。
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東海を巡る真冬の旅 六日目 新城市 設楽原合戦場

さて、私にとっては念願の設楽が原・長篠城です。 [caption id="attachment_3972" align="aligncenter" width="515"]設楽原合戦場の馬防柵 設楽原合戦場の馬防柵[/caption] ちょっと写真が遠いですが、馬防柵を再現してあります。
設楽原歴史資料館にまずいってみました。 [caption id="attachment_3973" align="aligncenter" width="515"]井上靖氏 風と雲と砦からの一文 井上靖氏 風と雲と砦からの一文[/caption] 武田派の私にとって、辛い場所ですが、見ておきたい場所でもあります。 [caption id="attachment_3974" align="aligncenter" width="515"]井上靖氏 風と雲と砦からの一文 井上靖氏 風と雲と砦からの一文[/caption] 泣かせる言葉があります。 もし、井上靖氏の本に興味がある方はこちら。私も読みました。  
  設楽原歴史資料館は鉄砲の資料館です。   [caption id="attachment_3975" align="aligncenter" width="515"]火縄銃 火縄銃や大筒などが並ぶ[/caption] こんな大筒や馬上筒なんかも見れます。 [caption id="attachment_3976" align="aligncenter" width="515"]馬上筒 馬上筒[/caption] 信玄公を狙撃したとも言われる銃もあったりします。(真偽は不明です。) [caption id="attachment_3977" align="aligncenter" width="515"]信玄公狙撃の銃 信玄公狙撃の銃、真偽不明[/caption] 武田勝頼公、馬場信房公、山県昌景公、内藤昌豊公、真田信綱公・昌輝公もこの風景を見たのか。。 なぜ、武田勝頼公は無謀な突進をしたのか。。 色々と後悔ばかりの場所ですね。 ちょっと、色々な想いが馳せます。 [caption id="attachment_3978" align="aligncenter" width="515"]設楽原合戦場を臨む 設楽原合戦場を臨む[/caption] この戦地で亡くなった武将の墓を参ろうと思っていたのですが、時間無く、次回に持ち越したいと思います。
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東海を巡る真冬の旅 六日目 豊橋市 吉田城

さて6日目となりました。吉田城に参りました。伊勢から徐々に埼玉に向かって帰っているわけですが、本日の予定は吉田城、設楽が原の合戦地、長篠城、浜名湖、浜松城を巡る予定です。 [caption id="attachment_3962" align="aligncenter" width="386"]吉田城本丸にある鉄櫓 吉田城本丸にある鉄櫓[/caption] 吉田城は、まだ遺構が割と残っているので、寄って見たかった所です。 再建された模擬天守閣があります。ですが、本丸のすぐ後ろは豊川です。 [caption id="attachment_3963" align="aligncenter" width="512"]吉田城本丸北側を流れる豊川 吉田城本丸北側を流れる豊川[/caption] 川幅はかなりあり、簡単には攻めることは出来ないですが、本丸がむき出しなのはどうかなぁ。。と言う点と、 豊川の流れの影響をもろに受けるので、浸食が激しいのではないかなと思います。 ただ、海に近いので流れが穏やかなので、さほど浸食も無いのかもしれません。 上野の厩橋城や広島城のように次第に川の浸食で城が壊れるということはないようです。 こういった、縄張りを後堅固の縄張りと言うようですが、ちょっとどうかなぁ。。って思いますよね。 [caption id="attachment_3964" align="aligncenter" width="512"]後堅固と言われる吉田城の縄張り 後堅固と言われる吉田城の縄張り[/caption] この縄張り図からすると、川を境にして三方向の東と南と西に防御が厚いので、そちらに敵を想定して作っているわけですね。 築城当時(1505年頃)は、今川氏親の命によって、牧野氏が安祥城の松平長親の東三河進出を警戒、尚且つ、渥美郡全域で力を奮っていた戸田宗光をも警戒して築城したといわれています。 現在の縄張りと築城当時の縄張りはかなり違うのではないかと思いますが、立地条件からする感じでは思いっきり戸田氏を警戒しているのではないかと思いますね。 実際、牧野氏と戸田氏と松平氏で奪い合いになり、双方で代わるがわる城主になっています。 う~ん。なかなか壮絶な場所ですね。 この時代、この辺りは、今川氏、松平氏、織田氏でかなり抗争していますよね。 [caption id="attachment_3965" align="aligncenter" width="512"]吉田城本丸を東側から、奥に鉄櫓が見える 吉田城本丸を東側から、奥に鉄櫓が見える[/caption] 節目はやはり家康が独立してからでしょうかね。 家康が桶狭間の戦い以後、独立してまず岡崎城を本城として活動を開始します。 その後すぐ清洲同盟にて織田氏と同盟、後ろが楽になったので、東方向へ進出していきます。 そのとき徳川四天王の一人、酒井忠次へこの吉田城を預けます。 [caption id="attachment_3966" align="aligncenter" width="512"]吉田城の堀(土塁) 吉田城の堀(土塁)、道が本来は堀だった所[/caption] 岡崎城は石川数正が城代。 そしてその後の今川氏真の動きが緩慢なのでどんどん進出されていき、武田・徳川の同時作戦で今川崩壊となります。 家康は遠江を侵攻し浜松城を築城して本城とする。 その後は武田氏との10年戦争ですね。 特にこの吉田城は、元亀2年(この年なのか論争になってますね。)の春に、武田軍が進出して、吉田城を囲まれる。が、酒井忠次以下の必死な働きによって守り抜いた。 という所が吉田城的には、一番盛り上がるだろう所ではないでしょうか。 [caption id="attachment_3967" align="aligncenter" width="512"]吉田城の堀 吉田城の堀、川面に対して台地になっているので、かなり良い所に城がある。[/caption] 自分的には武田VS徳川十年戦争は、武田勝頼公と徳川家康公、お互い同士苦闘の歴史ですよね。 お互い頑張った感が凄く強いですよね。 本能寺の変後、家康に武田軍団が吸収されていったのも、互いを認め合っていたからなんだろうというのが伝わって来ますよね。 しかし、武田派の自分としては、信玄公がもっと早く飛騨を抑え、美濃へ進出して信長が台頭するのを抑えるという形になっていればなぁ。。と思います。 飛騨の鉱山と美濃の豊穣の地を抑えたら、恐らく継続的に戦が出来たのではないでしょうかね。 しかし、最近の研究では信長包囲網も無かったのではないかとか。 武田信玄公もあまり織田とは戦したくなかったとか。 [caption id="attachment_3968" align="aligncenter" width="480"]吉田城鉄櫓の石垣 吉田城鉄櫓の石垣[/caption] とはいえ、現在残っている縄張りは池田輝政公時代のものとなるらしく、秀吉の意向がかなり入っているのではないでしょうか。 と言うのは、関東から来るであろう家康を抑えるために、背水の陣(後堅固)の城にしている訳ですしね。 しかし、東三河四郡で十五万二千石になるらしいです。 結構、豊かな土地なんだと思います。 武田信玄公の最大版図で甲斐20万石+信濃30万石+駿河20万石+上野半分20万石+飛騨と越中の一部で10万石+遠江20万石位=トータル120万石ぐらいではなかったでしょうか。 そのくらいだったように言われていますので、やっぱり平地の穀倉地帯と海があり港がないと貿易からの収入が厳しいですよね。 さ、あと、この近くの気になる城は、戸田氏が関わる田原城、二連木城と、松平氏の安祥城などが見どころではないでしょうか。 しかし、色々なお城に行きますが、同じ城は一つも無いので、どこに行ってもたのしめますよね。 土のお城も楽しいし、石垣のお城も楽しい、山城もいいし、平城もまたいいしなぁ。 今回の吉田城は、天守の石垣は野面積みで野面積みが好きな自分にはいい感じです。 武田信玄公と武田勝頼公の本は色々と読みましたが、新田次郎さんの本が読んで見て一番いいように思います。 今回、徳川との闘いが深堀していきたいならば、これがおススメです。
あと、最近では、この本が注目ですね。
元亀2年の信玄の三河侵攻は無かった・・・ということになりそうです。 研究が進むとどんどん話が変わって行きますね。 それはそれで楽しいものです。
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東海を巡る真冬の旅 渥美半島 道の駅田原めっくんはうす

恋路ヶ浜・伊良湖岬から少しもどり田原市の道の駅「田原めっくんはうす」にて就寝です。 [caption id="attachment_3196" align="aligncenter" width="300"]フードオアシスあつみ田原店の総菜 フードオアシスあつみ田原店の総菜[/caption]
ここは場所が街中で、歩いて行けば駅まで出れるような場所にあります。 [caption id="attachment_3197" align="aligncenter" width="300"]フードオアシスあつみ田原店の総菜 フードオアシスあつみ田原店の総菜[/caption]
「駅近ってわかっていれば居酒屋に飲みに出かけたんだけどなぁ。。」 [caption id="attachment_3198" align="aligncenter" width="300"]フードオアシスあつみ田原店の総菜 フードオアシスあつみ田原店の総菜[/caption]
なんて思いながら、既に夜食を仕入れてる自分たち。 まぁ、そういったロケーションなので、やっぱり何台かの車は駐車場代わりにしている様子。 代行の車が来たりしてバタバタしてしていたりします。 [caption id="attachment_3199" align="aligncenter" width="300"]フードオアシスあつみ田原店の総菜 フードオアシスあつみ田原店の総菜[/caption] 道の駅でよく見るのは、待ち合わせ場所にしていて片方の車を置いていくこと。 まぁ、いいんですが、不倫の待ち合わせ場所なんだろうなぁ。 という雰囲気の方が見受けられます。 [caption id="attachment_3200" align="aligncenter" width="300"]フードオアシスあつみ田原店の総菜 フードオアシスあつみ田原店の総菜[/caption] まっ、そんなことはさておき、夜食、安いからって買い過ぎですね。 太りますね。
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東海を巡る真冬の旅 渥美半島 恋路ヶ浜・伊良湖岬

パノラマビューの蔵王山展望台に後ろ髪を引かれつつも先に進みます。 [caption id="attachment_3856" align="aligncenter" width="512"]恋路ヶ浜を望む 恋路ヶ浜を望む[/caption] 本日の目的地である恋路ヶ浜・伊良湖岬灯台に到着です。  
ここ伊良湖岬は、 あの「名も知らぬとおき島より、流れよる椰子の実ひとつ」 で知られる島崎藤村の「椰子の実」の詩の発祥の地とのことです。 謂れは、民俗学者の柳田國男がここで遊び、拾った椰子の実の話を一緒に来られなかった島崎藤村にしたところ、それから藤村が想像を逞しくして創作したのが「椰子の実」とされる。 やしの実博物館や椰子の実詩碑もある。 とのこと。 なお、後に椰子の実の詩が現実に起こりうるものなのかどうか、某テレビ局のバラエティ番組で検証してみたところ、南国から流れた椰子の実が、実際に漂着することがあるということが証明されているようです。
  知りませんでした。面白い話が隠れているものです。 柳田国男といえば、遠野物語ですねぇ。 これは凄く面白くておススメです。  
  この青空文庫の物は、無料なのでさらにおススメです。   [caption id="attachment_3204" align="aligncenter" width="512"]恋路ヶ浜 恋路ヶ浜[/caption] ここ恋路ヶ浜もまた、素晴らしく綺麗なところです。 太平洋側には「日本の渚百選」、「日本の道100選」、「日本の音風景100選」、「日本の白砂青松100選」に選ばれた恋路ヶ浜という砂浜があります。 着いたのが夕方なので、綺麗な夕景を見れました。   [caption id="attachment_3205" align="aligncenter" width="512"]恋路ヶ浜を望む2 恋路ヶ浜を望む[/caption]   渥美半島の名産は、以下が有名らしいです。  
メロン 温暖な渥美半島は、日本屈指のメロン王国なんです。 出荷の最盛期は5月から七月上旬で、いろんなメロンの食べ比べもできるとのことです。
 
イチゴ 2月から3月はイチゴ狩りのシーズンですね。熟して甘くなったイチゴに出会えます。
 
菜の花 渥美半島では、いちごと同じ時期に菜の花も咲くのでお勧め時期です。
 
渥美の大アサリ 正式名称は、ウチムラサキ。かなり大きなあさりで近年、取りにくくなっているそうです。
  [caption id="attachment_3206" align="aligncenter" width="512"]恋路ヶ浜を望む3 恋路ヶ浜を望む[/caption]   え~と、それとここは、「恋人の聖地」でもありました。 「恋人の聖地」は眺めの良い所にあるので、どうしても自分の行きたい所と被るのですよね。
アラフィフの自分達には如何なものと思いますが、なぜか全国の「恋人の聖地」に訪れています。 まぁ、そして、およそ「恋人の聖地」は鐘が置いてあるわけですが、ここももれなくありましたので、遠慮なく鳴らさせて頂きました。 自分達の恒例なんで、仕方ないですね。ハイ。   [caption id="attachment_3207" align="aligncenter" width="512"]恋路ヶ浜から神島を望む 恋路ヶ浜から神島を望む[/caption]   ただ、ちょっと風が強かったですね。まぁ、海沿いなので仕方ないですよね。 しかし恋路ヶ浜というネーミングセンスがいいですよね。 恋路ヶ浜の由来は以下になるようです。  
恋路ヶ浜という名前の由来昔、道ならぬ恋の為に、都を追われた高貴な男女がおりました。 女は恋路ヶ浜に、男は裏浜に、人目を避けてひっそりと住んでいました。 2人は逢うこともないまま病気になり、お互いの名前を呼びながら死んでいきました。 その女の心は女貝に、男の心はミル貝になったという 伝説が恋路ヶ浜の由来です。
  ん~。悲しいお話ですね。 しかし、なぜ、都から追われたなら、一緒に住んでいないのか不思議ではあります。   [caption id="attachment_3208" align="aligncenter" width="512"]伊良湖岬灯台 伊良湖岬灯台[/caption]  
恋の伝説 上記の名前の由来で書いた恋の伝説があるので訪れる人は多いです。 周りのカップルは、 手を繋いだり、肩を抱き合ったりと全員が素直な気持ちになっています。 これも、伝説が関係しているのか謎につつまれています。 この浜辺から毎年、石垣島からプレートをつけた椰子の実を流してきました。 14年目の2001年8月3日に田原市(旧 渥美半島)の浜辺に椰子の実が 漂着しました。 漂着したことを記念として恋路ヶ浜に来た人々の願いが叶うように 「願いのかなう鍵」を横の駐車場に設置してあります。 「幸せになれますように」など愛のメッセージを書いて、 その願いを想いながら鍵をかけます。
  [caption id="attachment_3209" align="aligncenter" width="512"]伊良湖岬灯台2 伊良湖岬灯台[/caption]  
恋路ヶ浜の名の歴史は古く江戸時代の1808年(文化5年)には和歌に『春さめにぬれてひろはんいらご崎 恋路ヶ浦の恋わすれ貝』などと歌われており、悲恋の話から名付けられたということ。
  [caption id="attachment_3210" align="aligncenter" width="384"]伊良湖岬灯台3 伊良湖岬灯台[/caption] 伊良湖岬灯台は絵になりますねぇ。   [caption id="attachment_3211" align="aligncenter" width="512"]恋路ヶ浜を上から望む 恋路ヶ浜を上から望む[/caption]   いいところです。   [caption id="attachment_3212" align="aligncenter" width="512"]恋路ヶ浜の夕景 恋路ヶ浜の夕景[/caption]   灯台の所で、自転車のロードバイクで旅する高校生位の子たちと、ちょっとお話しました。 いい子たちで、冬休みの旅行らしい話をしてました。 それじゃ、と別れたら、帰り道で出会ったので、追い抜き際に「頑張って~」声を掛けて、お別れしましたっけ。 良い思い出です。  
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東海を巡る真冬の旅 知多半島 山田海岸 渥美半島 蔵王山展望台

羽豆岬を後にして、渥美半島の伊良湖岬灯台を目指して行きますが、羽豆岬のまだ近くで寄り道です。 [caption id="attachment_3215" align="aligncenter" width="512"]知多半島の山田海岸、碧南市方向 知多半島の山田海岸、碧南市方向[/caption] 潮干狩りの情報を出して置きます。この辺りは潮干狩りで有名な所らしいですね。
大人1400円、子供1000円で駐車場は無料とのことです。 さて、自分はいったいいつ潮干狩りをしたものか。。 遠い昔、子供の頃以来していないように思います。 [caption id="attachment_3216" align="aligncenter" width="512"]知多半島の山田海岸、渥美半島を望む 知多半島の山田海岸、渥美半島を望む[/caption] 道具は今もさほど変わっていないようですね。
これは親子のセット
こういう長い柄の物のほうが楽でいいと思いますが、後で使わないのですよねぇ。 毎年使う人はこういうのがいいのでしょうね。
それと、足がサンダルよりもこういったメッシュの靴のほうが安全でいいように思います。 これ、夏の靴に買ってみようかなぁ。蒸れなそうでいいかも。 あと折り畳み式の椅子が欲しいですね。
こういった物のほうが便利かなぁ。いいものがありますね。
服装も考えると日焼けしたくないので、こんな感じがいいのかなぁと思います。
ちょっと久々、潮干狩りしたくなりました。
あさりの酒蒸し、食べたいですねぇ~。 パスタでもいいけど。 [caption id="attachment_3217" align="aligncenter" width="512"]知多半島の山田海岸、佐久島方向 知多半島の山田海岸、佐久島方向[/caption] さて、潮干狩りで盛り上がりましたが、先に進みましょう。 天気が良ければもっと綺麗だろうにと思いながら、来た時とは反対に知多湾・三河湾を眺めつつ進みます。
知多半島を脱して、渥美半島まで来ました。 渥美半島の伊良湖岬を目指しているわけですが、途中、R259を走っていると眺めの良さそうな展望台らしきものが山にあるのが見えます。 調べると蔵王山と言い、展望台があるようです。 「眺め良さそうだから行こう。」と即決します。 というか、いつもそういった眺めの良い所へは必ず立ち寄ります。 [caption id="attachment_3848" align="aligncenter" width="515"]蔵王山展望台からの眺め、伊良湖岬方向 蔵王山展望台からの眺め、伊良湖岬方向[/caption] 車で走っていると、高い山とかに建築物があると展望台かな?といつも思って見ています。 というのも自分は、岬とか展望台とか大好きなんですよね。 旅に出ているときは、特に見知らぬ土地ですので、どういった所なのか、上からどう見えるのか見てみたいという欲望があります。 地図好きなので、上から眺めて自分の頭の地図とマッチさせるのが好きなんですよね。 なので、飛行機乗ると楽しくて仕方ないです。 [caption id="attachment_3219" align="aligncenter" width="512"]蔵王山展望台からの眺め、豊橋方向 蔵王山展望台からの眺め、豊橋方向[/caption] 偶に嫁の帰省で羽田から福岡行きの飛行機に乗っていると、琵琶湖の上を通るのですが、あの時、琵琶湖って結構、標高が高い所にあるんだなぁ。と感じるんですよね。 地図と同じなんですが、立体感が全然違うじゃないですか。あれが楽しいです。 そして、福井県側の敦賀に非常に近いのに、都合よく山脈があって、うまい具合に収まっているものだなぁ。といつも思うのです。 そういったことはやっぱり2次元ではなく3次元で感じるものなんだろうと思います。 そんな訳で、またいつも通り、高い所からの眺めを見てる訳です。ハイ。 [caption id="attachment_3220" align="aligncenter" width="512"]蔵王山展望台からの眺め、蒲郡方向 蔵王山展望台からの眺め、蒲郡方向[/caption] 意外と下道とは言えすんなり来れたと思っています。 知多半島羽豆岬を10:30頃出て、途中ご飯を食べて、渥美半島の蔵王山に15:00頃到着しました。 展望台からの眺めは思った通り、ホント、素晴らしい眺めですね。 [caption id="attachment_3221" align="aligncenter" width="512"]蔵王山展望台からの眺め、東方向 蔵王山展望台からの眺め、東方向[/caption] 夜景ももちろん綺麗な所みたいですよ。 確かに、最高の夜景が見れそうですね。 天気が良ければ、富士山も見れるそうです。 今回は、ちょっと見れませんでしたが。 そうか、だから、この辺りは、おとなのホテルが多かったのかぁ。 いまさら気がつきました。まぁ、そりゃそうだよね。 いいことです。子孫繁栄、大事です。 蔵王山展望台の公式HPを載せておきます。
[caption id="attachment_3222" align="aligncenter" width="512"]蔵王山展望台からの眺め、南方向 蔵王山展望台からの眺め、南方向[/caption] ここもいい所でした。おススメの眺めスポットです。しかしホント、360°のパノラマですね。 夜景も撮って見たい所ですね。
 
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東海を巡る真冬の旅 知多半島 羽豆岬 水軍の城 羽豆崎城址

道の駅にしお岡ノ山を後にして、バカらしい話ですが、途中まで昨日通った道を戻っています。 行き当たりばったりの旅なので、こういった予想外のこと(当てにしていた道の駅が来た先に無いので、全く別な方向に行って寝た。)が起きると対処が弱いですね。 今、思うと海岸沿いの海水浴場の駐車場あたりに寝てしまっても良かっただろうと思います。 それか夜釣りしている人がいたりする所なんかがいいかもしれませんね。 広い駐車場に1台で止まっているよりも、夜釣りしている人達がいれば安心ですしね。 よし、今度はちょっと頭使って、道の駅が余り無い所なんかではそうしようかと思います。 [caption id="attachment_3225" align="aligncenter" width="512"]羽豆岬の案内図 羽豆岬の案内図 駐車場は1時間=100円 安い[/caption] 半田市から武豊町を抜けて、知多半島の左側というか伊勢湾側を海沿いの道を羽豆岬に向かって走っていきます。 [caption id="attachment_3844" align="aligncenter" width="512"]羽豆岬展望台からの眺め1 羽豆岬展望台からの眺め 南方向[/caption]   ちょっと走りにくい感じの道が所々あります。対面二車線の道路ではありますが、歩道もなく道が狭くペースが遅い道でしたね。 何か有名なのか、美味しそうな物を売っているお店がいくつか目に入りました。 実際、前を走っていた地元ナンバーの方は、そのお店に入っていくので、「あぁ、きっと美味しい物、売ってるんだろうなぁ。」なんて、嫁と話してました。   [caption id="attachment_3227" align="aligncenter" width="512"]羽豆岬展望台からの眺め2 羽豆岬展望台からの眺め 北東方向[/caption]   羽豆岬を観光するには有料の駐車場へ車を止めるのが良いようです。こうこうしている間に、羽豆岬に到着しました。 (一番目の写真を参考にしてくださいね。そこの駐車場に停めました。) 有料駐車場なので、1時間100円でしたよ。 ここからは歩きです。   [caption id="attachment_3228" align="aligncenter" width="512"]羽豆岬展望台からの眺め3 羽豆岬展望台からの眺め 南東方向[/caption]   羽豆神社に展望台があり、そこの眺めが良いです。   [caption id="attachment_3229" align="aligncenter" width="512"]羽豆岬展望台からの眺め4 羽豆岬展望台からの眺め 南東方向[/caption]   晴れていたら、かなり綺麗なんでしょうね。あいにく天気には恵まれませんでしたが、なんとか対岸の伊勢や渥美半島なども見えました。   [caption id="attachment_3230" align="aligncenter" width="384"]羽豆崎城址 羽豆崎城址[/caption]   南北朝時代に、熱田大宮司であった千秋昌能が築城したとのことです。そして、この場所、羽豆崎城址でもあったようです。 そして戦国期は、昨日、訪れた佐治氏のお城とのことです。   [caption id="attachment_3231" align="aligncenter" width="512"]羽豆大明神があります。 羽豆大明神があります。[/caption] 籠れる人数が少ないので、兵糧攻めをされるとちょっと厳しいかもしれません。大きさは砦程度の大きさでしょうかね。 ただ、独立した台地で高さもあるので、我攻めに攻めると痛い目を見そうではあります。 攻め口は南北の先端部分くらいしか無いようです。 よくよく調べると、現在フェリーへ行く道がありますが、北西に宗真寺というお寺さんがあります。 そこも独立した台地ですが、昔はそこと繋がっていたとのこと。 恐らく現在道がある部分は城の堀切だったためかで、拡張して現在の道路とされたのではないでしょうかね。 そして、その宗真寺の所にもお城があったとのことです。 そちらは、羽豆崎天神山城というらしいですね。 こちらは、戸田氏が治めたとのこと、目と鼻の先ですね。 お互いに水野氏と婚姻関係を結び、共同統治としたとのことです。 はぁ、そこに落ち着くまでは、かなり大変でしたろうね。 特に遺構とかは無い感じですが、展望台があり、また、別な眺めができます。
  [caption id="attachment_3232" align="aligncenter" width="512"] 羽豆岬からの眺め 羽豆岬からの眺め[/caption] 水軍は船がメインなので、あまり籠城とかしないのかもしれませんね。 水軍のお城は珍しいですが、昨日の波切九鬼城址といい、水軍のお城はちょっと小さい所が多いのでしょうかね。 村上水軍のしまなみ海道にある能島城は良かったですね。あれは凄いです。 流石に島には渡れませんでしたが、対岸の大島からゆっくり見ました。 あそこはおススメです。 あと、ここ、SKE48の皆さんによる「羽豆岬」という歌があるらしいですね。その歌碑がありました。 ついでに、Youtubeのリンクを、一応、貼っておきます。  
可愛らしい女の子達が明るく歌う歌はいいですね。 見てるこっちも元気が湧いてくるようで、楽しいですねぇ。
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東海を巡る真冬の旅 セントレア空港を望む 道の駅にしお岡ノ山

常滑で「とこにゃん」を見ている間にすっかり、日が傾き掛けてきました。 [caption id="attachment_3235" align="aligncenter" width="515"]セントレア空港へ沈む夕日 セントレア空港へ沈む夕日[/caption] とりあえずセントレア空港を拝んでおこうということで、向かいます。 [caption id="attachment_3236" align="aligncenter" width="515"]セントレア空港へ沈む夕日2 セントレア空港へ沈む夕日2[/caption] 橋を渡るには有料道路とのこと。 なので、まぁ、そこまでしてみたいわけでもないので、対岸の適当な所から写真を撮りました。 [caption id="attachment_3237" align="aligncenter" width="515"]セントレア空港へ沈む夕日3 セントレア空港へ沈む夕日3[/caption] ホントは、知多半島の先端まで、行きたかったのですが、とても日のあるうちに間に合いそうもない感じなので、宿泊場所を探します。
今回はちょっと距離がありますが、一旦、「道の駅 デンパーク安城」に向かいます。 知多半島には道の駅が無いので、日のあるうちに観光しておきたかったのですが、仕方ないですね。 自分達は道の駅以外では、まだ、車中泊はしたことないので、今後の課題です。 街で居酒屋とか行きたいですしねぇ。 そういうときはコインパーキングで良いのだろうけど、トイレがそばにないと困るだろうしなぁ。 みんなどうしてるんだろう。 今、こうして、改めて記事を書きながら、知多半島の地図を眺めていると、海水浴場が多いのに気が付きました。 なので、海水浴場の駐車場に停めれば良かったかもしれませんね。 釣りしている人がいる所なら、人がいる訳ですのでね。 「道の駅 デンパーク安城」に着いてみると、なにやらイルミネーションがピカピカしています。
そのため、イルミネーションの見学に来る人も多くて、とても寝るという感じではなく、ここは諦めました。 次の「にしお岡ノ山」という道の駅に向かいます。 ここは国道のバイパスのPA的な道の駅です。 自分、寝るときはエンジンを掛けずに静かに寝たい派です。 そして、周りにもそうあってほしいタイプなのですが。 こういった幹線道路沿いはトラックが多く駐車しているケースが多く、彼らはアイドリングしたまま寝てしまうので、近くだとうるさくて寝れないことが多いのです。 なので、ちょっと騒音が発生して苦手な感じかと思いましたが、トラックから離れて普通車だけで停められるところがありますので、そこへ停めました。 思ったよりも静かで、すぐに睡眠に入れましたが、途中、暴走族的な車が爆音を鳴らせながら、駐車場をわざわざあちこち徘徊していました。 まぁ、嫌がらせですよね。 なんか、気に入らないのか、面白がっているのでしょう。 そういった車は長時間、そういったことをしないので基本放置です。 長い場合は警察に電話するべきでしょうね。 ちなみに、ここの道の駅も割と綺麗で清潔でした。
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東海を巡る真冬の旅 知多半島 とこにゃん

常滑に向かっていると、「あ~、そういえば、招き猫のでかいのがいるのよね。この辺だった気がする」と妻。 「調べてみるわ。」といそいそとスマホで検索。 「いたいた、とこにゃんっていうのね。」 妻は猫好きで、猫に関するものには、なんにでも興味があります。 それで知っていたらしく見たかったらしいです。 なので、さっそくそちらに向かいましょう。 車をどこに停めていいものかと、調べてみると、常滑市陶磁器会館に停めて良いとのことです。 駐車させて頂き、歩いて行ってみましょう。  
とはいえ、「とこにゃん」のそばに行くには歩きで行くしかありません。 駐車場から、10分ほど歩くと、「とこにゃん」の所に着きました。 [caption id="attachment_3836" align="aligncenter" width="515"]常滑のとこニャン、カワイイです。 常滑の「とこにゃん」、カワイイです。[/caption] 写真だと、大きさのイメージが分かりにくいですが、かなり大きいですよ。 二階屋の屋根位まで達します。 圧倒されます。 でも、良くできていて、カワイイです。 そして、「とこにゃん」の目の前に焼物の猫の置物があり、「とこにゃん」を見つめているのがいいんですよね。 [caption id="attachment_3241" align="aligncenter" width="512"]とこなめ招き猫通りを上から眺める とこなめ招き猫通りを上から眺める[/caption] 法面の上に猫の焼き物が置いてあったりして、芸が細かいんですよねぇ。 こういった法面の上に「とこにゃん」はいます。 この「とこにゃん」の下に、猫の焼き物が並んで展示してありますので、下に行ってみましょう。 [caption id="attachment_3242" align="aligncenter" width="341"]とこなめ招き猫通り とこなめ招き猫通り[/caption] とこなめ招き猫通りと言うらしいですね。 [caption id="attachment_3243" align="aligncenter" width="512"]とこなめ招き猫通りの猫オブジェ群 とこなめ招き猫通りの猫オブジェ群に圧倒[/caption] 非常にたくさん並んでいます。 ちょっと、数えきれない感じです。 調べてみると、常滑ゆかりの陶芸家さんや職人さん、合計39名の方によって作られたそうです。 様々な猫のオブジェが通りを彩ります。 流石に全部は載せきれないので、自分が気に入ったものだけ、載せさせて頂きます。 [caption id="attachment_3244" align="aligncenter" width="341"]とこなめ招き猫通りの猫オブジェ晴天祈願 とこなめ招き猫通りの猫オブジェ晴天祈願[/caption] 自分の一番のお気に入りは上の写真のものです。 「晴天祈願」という題ですね。 この丸くフワッとした感じが好きです。 なんか、こころ休まる感じがいいです。 それと題名が、写真好き、旅行好きなので、晴天でいて欲しいのもあります。 なんとなく、ひだまり猫と言う感じで好きです。 「日向ぼっこ好きニャ~。」って感じでしょうかね。 [caption id="attachment_3245" align="aligncenter" width="341"]とこなめ招き猫通りの猫オブジェ武芸上達 とこなめ招き猫通りの猫オブジェ武芸上達[/caption] 次はこの「武芸上達」が好きですね。 なんか、旅をしていたら、供をしてくれて、刀を差しだしてくれそうなかんじですよね。 「お手伝いするニャ~。」とか言いそうです。カワイイ。 [caption id="attachment_3246" align="aligncenter" width="341"]とこなめ招き猫通りの猫オブジェ旅行安全 とこなめ招き猫通りの猫オブジェ旅行安全[/caption] この寅さんチックなのは「旅行安全」とのこと。 この猫さんは、「じゃ、また、今度な。」とか、カッコよく言いそうですよね。 [caption id="attachment_3247" align="aligncenter" width="512"]とこなめ招き猫通りの猫オブジェ開運招福 とこなめ招き猫通りの猫オブジェ開運招福[/caption] これもいい感じ、「開運招福」いいですね。 この子は、「よく来たニャ~。」って感じでしょうかね。 [caption id="attachment_3248" align="aligncenter" width="341"]とこなめ招き猫通りの猫オブジェぼけ封じ とこなめ招き猫通りの猫オブジェぼけ封じ[/caption] この子は「ぼけ封じ」とか、う~ん。 題とイメージが、自分には繋がりませんが、このオブジェは好き。 なんとなく、見守っててくれている感じが伝わります。 「ゆっくりしていけニャ~。」って感じでしょうかね。 [caption id="attachment_3249" align="aligncenter" width="341"]とこなめ招き猫通りの猫オブジェ心願成就 とこなめ招き猫通りの猫オブジェ心願成就[/caption] これなんかめっちゃポップですが、題は「心願成就」 この子は「我を信じるのニャ、さらば幸せ猫パンチをお見舞いして進ぜるニャ。」と言う感じで、ラッキーを授けてくれそうですよね。 確か石川で買ったやつなので、九谷焼なんだと思います。そういえば、自分の実家にも招き猫のデカいのがあります。 それが高さ60cm位あって、彩色が凄くて怖いんですよね。 こんな感じのです。↓でもこれはまだ可愛さがあるなぁ。  
  子供の時に見て、こんなの招き猫じゃないと思いましたよ。 夜見ると怖くて怖くて、ちょっと嫌でした。 もし自分が九谷焼で買うなら、こんなのがいいですね。  
  これなんかもいいなぁ。ちょっとあざとい感じかなぁ。  
  このポットのはいいですね。  
  でもとこにゃんなので、常滑焼のこれがいいですよね。良く似てるしね。  
  あと、こんな変わり種とか。  
  しかし、何気なくポストの上にも猫の置物があったりと、ホント、猫好きな方にお勧めしたいです。   [caption id="attachment_3250" align="aligncenter" width="341"]ポストに乗った猫ポストマン ポストに乗った猫ポストマン[/caption] でも、本物の猫ちゃんには出会わなかったんですよね。残念でした。。  
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東海を巡る真冬の旅 知多半島 佐治氏の大野城 

神戸城を後にして、さて、お昼ですね。先を急ぐので、簡単に済ませたいところです。久々ですが、四日市の幸楽苑に入って見ました。 ラーメンで簡単に済ませ、車を進めて行き、名古屋市内の渋滞にあまり会うこともなく進むことができました。 名古屋市内を走っていると、皆さんほぼスタッドレスタイヤは履いてませんね。 都市部特有の「雪はそんなに降らない」「自分は事故らない」という根拠のない自信を持つ方が非常に多いですよね。 そういう人に限って、陸橋が凍って滑って事故るという過信からの事故が多いのではないかと思います。 大した額でも無いのだから、保険代わりに買えばいいと思うんですよね。 買わない人の次にいう言葉は決まっていて「履き替えるの面倒」です。 人を轢いてからじゃ遅いんだよなぁ。と思います。 今はオールシーズンタイヤという都市部に降る位の雪なら全然OKというタイヤもあるので、それにすればいいと思います。  

155/65R14 75H 新品1本5千円

  最近の物は評価も上がってるので、おススメだと思います。 自分も次はこれにしようと思ってますよ。 同僚がこれ履いていて、「履き替えなくてイイよ」って言ってたので、ちょっと揺らぎますね。   さ、そんなタイヤ談議は置いといて、 国道155号線を南に常滑市方面へ走っていると、 「ん?正面に城が見えるけど、こんなところに城かぁ。まぁ、でも寄ってみますか。」 ということで、行ってみました。 [caption id="attachment_3265" align="aligncenter" width="384"]常滑の大野城 常滑の大野城[/caption] どこも模擬天守ってあるけど、実際天守なんてなかったところばっかりですよね。 大野城というお城です。全然、知りませんでした。 天守風にしないで櫓にすればいいと思うのですがねぇ。 それでもまだ、ここは櫓風でもあるかな?なので、良い方でしょうかね。 [caption id="attachment_3266" align="aligncenter" width="512"]大野城の説明板 大野城の説明板[/caption] 素晴らしいですね。 むしろ、潔し。 開き直っている所がいいです。 説明板の最後に(*なお、この建物は当時の建物を復元したものではありません。)とあります。 [caption id="attachment_3267" align="aligncenter" width="512"]大野城の城門 大野城の城門[/caption] 佐治氏は室町時代の終わり頃から戦国時代に四代の城主が続いて知多半島一帯に勢力を張っていたと言われています。  
大野城址の沿革 ここは4代続いた、佐治氏の城があったところ。古くは宮山城とか大野城と呼ばれていました。 一代と二代は省略、目ぼしい所のみ記載 三代 佐治八郎信方(元亀2年(1571年)5月9日没) 織田信長の妹のお犬の方を嫁に貰う、それに伴い信長の傘下に入るが、伊勢長島の戦いで討ち死に。 四代 佐治与九郎一成(寛永11年(1634年)没) お市の方と浅井長政の娘で三女の(信長の姪)江を嫁としたが、小牧長久手の戦いで秀吉の勘気を被り離婚、大野城退去後は、伊勢に居り後に京都で病死したと伝えられている。 江のほうは羽柴秀勝へ再嫁するも、文禄の役中に朝鮮国の巨済島において羽柴秀勝が病死してしまう。 その三年後に二代将軍となる徳川秀忠へ嫁ぐことになる。
  [caption id="attachment_3805" align="aligncenter" width="515"]大野城本丸展望台からの眺め、防御の為、斜面をきつくしている様子が伺える 大野城本丸展望台からの眺め、防御の為、斜面をきつくしている様子が伺える[/caption] この中で、まず気になるのは三代の信方公の嫁が信長の妹のお犬の方という所でしょうね。 要するに妹を嫁に出すほど重要だったこと。 お犬の方はお市の方と同じ母親の土田御前から生まれています。 お市の方は絶世の美女と言われていますので、お犬の方もさぞかし綺麗な方だったのではないでしょうかね。 [caption id="attachment_3269" align="aligncenter" width="512"]大野城の空堀 大野城の空堀[/caption]   知多半島を抑えるために美人の妹を送る。したたかなやり方ですね。ハイ。 こういうところは上手いですよね。信長。   [caption id="attachment_3270" align="aligncenter" width="512"]大野城本丸展望台からの眺め伊勢湾方向 大野城本丸展望台からの眺め伊勢湾方向[/caption] 実際に嫁いでいたかは不明とも言われているらしいですが、婚約はしていたのは事実らしいです。そして、次に徳川秀忠の奥方のお江の方が最初に嫁いだ相手ですね。 でも、佐治一成公は不運な方ですね。 しかし、ここ眺めが良く伊勢湾を一望できます。 [caption id="attachment_3271" align="aligncenter" width="512"]大野城本丸展望台からの眺め北方向 大野城本丸展望台からの眺め北方向[/caption] 水軍も有し、伊勢湾を制していたらしいので、結構、佐治氏も全盛期は侮れない勢力だったのでしょうね。 [caption id="attachment_3272" align="aligncenter" width="512"]大野城本丸からの眺め 大野城本丸からの眺め[/caption] でなければ、お江を嫁にするほど重要だったという裏付けが無いわけですからね。 しかし、なかなかの標高差ですね。いい場所というか良い立地にありますよね。 空掘りもしっかりと残っているし、まずまずのお城ではないでしょうか。 その後の大野城ですが、すぐ廃城になります。 三代の信方が長島一向一揆で戦死したが、嫡子佐治一成が幼少だったので、織田信長の弟織田長益(有楽斎)が知多郡を与えられ、大野城を与えられる。 織田長益は大野城の水利が悪いため嫌い、大草の地に築城を始める。 が、本能寺の変が勃発し、途中放棄で再び荒廃。 小牧・長久手の戦い後、長益が摂津国に移封されたため完成を待たずして廃城となった。 大草城は本丸、二の丸、三の丸を配し、本丸、二の丸の周囲を堀(水堀も)と土塁で囲った梯郭式縄張が良好な状態で残り現在も見ることができる。 江戸時代に入ると、尾張藩は大草城跡を知多郡の防御上重要な地として、家老の山澄淡路守英龍に大草の地(5,000石)を与え城址近くに居を構えて城址の保全をさせ、歴代の山澄氏によって保存された。 現在でも城跡の周辺に東屋敷や西屋敷などの大字が残る。 とのことで、やはり良い場所に城があるということですね。 大野城はちょっと小さいので、大草城と大野城で連携すると面で対処できるので、効果が上がりますよね。 そんなところを見越していたのでしょうかね。
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東海を巡る真冬の旅 長篠設楽原パーキングエリア下り

東名から新東名に入り、しばらく行くとちょっと以前から気になっていた、長篠設楽原PAに休憩も兼ねて立ち寄りました。 長篠・設楽原の合戦の観光案内板を読んでいると [caption id="attachment_3740" align="aligncenter" width="640"]長篠設楽原パーキングエリア下りの長篠・設楽原の合戦の説明板 長篠設楽原パーキングエリア下りの長篠・設楽原の合戦の説明板[/caption] 馬防柵があったり [caption id="attachment_3742" align="aligncenter" width="640"]長篠・設楽原の合戦時に効果を発揮したと言われる馬防柵 長篠・設楽原の合戦時に効果を発揮したと言われる馬防柵[/caption] さらに奥を見れば信長の本陣だったとは。。。。 [caption id="attachment_3743" align="aligncenter" width="640"]長篠設楽原パーキングエリア下りにある、長篠・設楽原の合戦時の織田信長本陣 長篠設楽原パーキングエリア下りにある、長篠・設楽原の合戦時の織田信長本陣[/caption] すいません。知りませんでした。勉強になりました。 [caption id="attachment_3744" align="aligncenter" width="640"]長篠・設楽原の合戦時の織田信長本陣跡説明板 長篠・設楽原の合戦時の織田信長本陣跡説明板[/caption] ここまでしてあるなら、なぜ、対陣する武田側の方向を伐採してないのか?不思議ではあります。 なんと下の写真の景色は合戦には関係ない場所の景色です。 長篠・設楽原の合戦は左方向なんですよね。見えないんです。 [caption id="attachment_3745" align="aligncenter" width="640"]長篠・設楽原の合戦時の織田信長本陣跡の西側の風景 長篠・設楽原の合戦時の織田信長本陣跡の西側なので、合戦とは関係ない風景[/caption] それでも今回、立ち寄りたい所の一端が見れたわけですので、ちょっと嬉しい。 それと自販機、設楽原の合戦絵巻になってます。 凄いですね。 [caption id="attachment_3746" align="aligncenter" width="640"]長篠設楽原パーキングエリア下りにある、長篠・設楽原の合戦絵巻の自動販売機 長篠設楽原パーキングエリア下りにある、長篠・設楽原の合戦絵巻の自動販売機[/caption] 織田&徳川自販機なんてのもありました。 [caption id="attachment_3747" align="aligncenter" width="640"] 長篠設楽原パーキングエリア下りにある、織田家家紋・徳川家家紋の自動販売機 長篠設楽原パーキングエリア下りにある、織田家家紋・徳川家家紋の自動販売機[/caption] ということは、上り側は武田ってことですね。 上り側も見たかったけど、今回は無理。。 また、別な機会で、見てみましょう。
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