名草巨石群 栃木県足利市名草上町

2019年10月5日 かねてから行きたかった名草巨石群に行って来ました。 場所は下に地図を出して置きましたが、結構な山の中でして、通常は名草巨石群を中心にみて南東方向の弁天釣堀の辺りに車を置いて歩いていくのが普通みたいです。 ですが、結構な登り道で暑いときはちょっと汗だく覚悟で行くことになると思います。 ただ、もう一つ方法があって、先ほどの弁天釣堀をスルーしてそのまま車で登って行くこともできます。 ただし、道が狭いので軽自動車がおススメです。 釣堀を過ぎると道が狭くすれ違いは厳しく、道自体も荒れています。 松田川ダム方向からの道はさらに細くて荒れています。 ただ、行って見ると上側から車を置いていくとかかなり楽です。 自分達は軽自動車で行ったので、上側から行きました。 [caption id="attachment_226" align="aligncenter" width="640"]上にある駐車場、小さくて分かりにくいですが、奥が既に巨石群ですよ。 上にある駐車場、小さくて分かりにくいですが、奥が既に巨石群ですよ。[/caption] 上側の駐車場からだと、歩いて2分くらいで名草巨石群が見れます。 [caption id="attachment_227" align="aligncenter" width="640"]名草巨石群 雰囲気がちょっと違います 名草巨石群 雰囲気がちょっと違います[/caption] ちょっと不思議な空間ですね。 [caption id="attachment_228" align="aligncenter" width="640"]名草巨石群 雰囲気がちょっと違います 名草巨石群 雰囲気がちょっと違います[/caption] パワースポットですね。ここ。 [caption id="attachment_229" align="aligncenter" width="640"]名草巨石群 天然記念物見たいですね 名草巨石群 天然記念物見たいですね[/caption] 恐らく、古代の磐座なんでしょうね。 ちょっと神秘的です。 [caption id="attachment_230" align="aligncenter" width="640"]名草巨石群 名草巨石群[/caption] 下の写真の手前中央の石は何か模様なのか?文字なのか?何か人為的なものを感じる気がします。 線刻石かなぁ?神代文字?分かりません。 [caption id="attachment_231" align="aligncenter" width="640"]何かの文字的なものが浮かんでいるように見えますね。 何かの文字的なものが浮かんでいるように見えますね。[/caption] 一通り見たので、名草厳島神社へ行って見ましょう。 [caption id="attachment_232" align="aligncenter" width="640"]名草巨石群から下って名草厳島神社へ向かう 名草巨石群から下って名草厳島神社へ向かう[/caption]
森を抜けて行きます。かなり気持ちいい所でした。 爽やかな空気が凄く気持ちを穏やかにしてくれます。 五分程歩くと神社が見えてきました。 [caption id="attachment_233" align="aligncenter" width="640"]名草厳島神社 名草厳島神社[/caption] また、不思議な石が見えます。 [caption id="attachment_234" align="aligncenter" width="640"]名草厳島神社の不思議な石 名草厳島神社の不思議な石[/caption]
何か、人型に見えますね。ご神体ということでしょうかね。 説明版に以下のようなことが書いてあります。
  • 名草の巨石群
  • 厳島神社境内からその奥にかけての一帯に古生層粘板岩を貫いて出てきた花崗岩が並んでいます。
  • 花崗岩は非常に大きな固まりであったが方状の節理に沿って玉ねぎ状に風化し、水に洗われた節理間の核心の部分が球状に残り巨岩を積み重ねた形になったものです。
  • 弁天沢の水底に金色に輝く小片がたくさん見られるが、これは花崗岩が風化してできた黒雲母です。
  • この巨石群は粗粒な花崗岩特有の風化状態を示す代表的なものとして昭和十四年に国の天然記念物に指定されています。
  • 弁慶の手割石・お供石・太鼓石・石割楓・お舟石などの名称で呼ばれています。
  • 昭和五十八年一月
  • 財団法人足利市民文化財団
  • 足利市教育委員会
とありました。
古代の祭祀云々とは書いてないですね。 そうなのかなぁ。。 [caption id="attachment_235" align="aligncenter" width="640"]名草厳島神社の胎内くぐり 名草厳島神社の胎内くぐり[/caption] 上の写真の大きな岩の下側の写真ですが、ここの左下から胎内くぐりと称してくぐり抜けられます。 [caption id="attachment_236" align="aligncenter" width="640"]名草巨石群の弁慶の割石 名草巨石群の弁慶の割石[/caption] 神社の下には弁慶の割石がありました。 綺麗に割れていますね。 これだけ綺麗に割れているのも珍しいですよね。 [caption id="attachment_237" align="aligncenter" width="640"]足利七福神の案内図 足利七福神の案内図[/caption] こちらの案内板には創建にまつわるお話が載っています。 空海上人さまがここでも出て来ていますね。 あらゆるところで出てきます。 東日本でちょっと不思議な所(ミステリースポット)で出てくる人は、 空海上人、坂上田村麻呂、弁慶と義経、日本武尊(ヤマトタケル)、 修験のところは役小角、あとは徐福、徐福は青森でも伝説がありましたよ。 [caption id="attachment_238" align="aligncenter" width="640"]名草厳島神社の鳥居 名草厳島神社の鳥居[/caption] どれだけホントに旅していたのでしょうかね。
どれがホントでどれが嘘なのかも良く分からない感じです。 いずれにして、名草巨石群、面白かったです。 空気感が違うので、心が疲れている人はリフレッシュにおススメです。 ここ、意外と人が多いのでビックリしました。 パワースポットとして認識されているのでしょうかね。 通常は、磐座に行っても、人なんか見ないですけどね。 あんまり人が多くなるのは、気が悪くなったり、荒れたりして、あまり好きじゃないですね。 神社なんかも「あれ?ここ神様いないんじゃない?」なんて思う所は多いですしね。 そういった所は大抵の場合、御朱印が500円とかで、儲け主義的な所はそんな感じがします。 関東でお稲荷様で有名な所なんかは、「なんかどうなのかな?ここ」的な感じでしたので、ちょっと心に残ってます。 神社なのに、そもそも運営する側が、邪念に囚われているのはどうなんだ。と言う感じもあります。 なので、神社自体に気を感じない所で、いくら拝んで見たところで居ないものは居ないと思います。 自分の場合、通常であれば、自分に良い気配の神社や、悪い気配の神社とか、何か気を感じることが良くありますが、全く感じない所もあります。 それと参拝場所ではないところに気を感じることが結構あります。 有名なところなんかはそんな感じがしますね。 例えば、明治神宮や香取神宮なんかは何回行っても、本殿ではない所で感じます。奥宮とかとも違うんですよね。自分の場合は。 なので、自分に合った神社に行くのが良いと思います。 そういった自分に合う神社は必ず気を感じるし、なんらかの「よく来たな。」的なサインに巡り合うように思います。
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太平山神社 栃木県栃木市平井町659

色々と突っ込みどころが多い、岩下の新生姜ミュージアムでしたが、この日最後に太平山神社へ参りました。

途中、謙信平と言われる所があったので、車から降りて見学です。


謙信公は一般的にクリーンなイメージが強いですが、自分はそうでもないです。


冬場の出稼ぎに関東に出馬して、戦に負けた人を奴隷にして人身売買していたイメージのほうが強いです。



戦に強いとはいえ、そういった側面も持っていた人だということを理解して欲しいですよね。

謙信平から歩いて大平山神社へ行きました。
義の人と言われますが、あくまでも建前ですからね。


信玄公も同じく奴隷にして、男は金山人夫、女は金山の宿場で働かされるといった具合です。


後北条氏が一番まともだったのではないでしょうかね。


後北条氏の税制は四公六民ですからね。当時、良くて五公五民、悪くて六公四民が普通です。


秀吉は酷くて、七公三民ですからね。そりゃ、お金も溜まりますよね。

御朱印も二面だと千円で、1面だと300円ってどうですかね。なぜ3倍強なのか。。

それ以外にも秀吉はいろんな悪い話がありますが、それはまた違う所で。。

御朱印が季節で変わるようです。御朱印商法ですなぁ。

なので、北条が戦争に負けて違う大名が領主になると、農民が北条に逃げるなんてことは普通だったらしいですよ。

なので、農民を大事にした北条はだんだんと支配域を広げていったわけですよね。

後北条氏はもっと見直されて良いのですけどね。

北条氏康公なんて素晴らしいのだけど。

ところで、大平山神社は謙信平から歩いて行った方がフラットな道を歩いて行くので、楽だと思います。

行った時間がちょっと遅くて御朱印は頂けませんでした。

近いのでまた来ましょう。

しかし、御朱印商法も最近は凄い感じになって来ましたね。

日によって変わる。季節によって変わる。2枚押し。色が変わる。とか。

いろんな付加価値を付けていくわけですが、自分はスタンダードな物だけで充分です。

あまり、踊らされるのは好きじゃないですね。

ただ、こんなに御朱印が流行るとはなぁ。。

ちょっと前までは、普通に書いてもらえたのだけど。

ちょっと、過剰な感じですよね。なんか、怖いです。







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岩下の新生姜ミュージアム 栃木県栃木市本町1−25

栃木の歴史を見た後は、現代の栃木ですかね。

まぁ、通りかかったら、偶々あったので、寄ってみました。


岩下の新生姜ミュージアムです。

生姜を模したモニュメントが、自分にはアレにしか見えないです。www

そうです、アレです。アレ。夜、使う、アレ。大人の。アレにしか見えません。www

これはちょっといけない感じですよね~。www

ま、もう、それとしか見れないでしょうが、最後まで見てください。


写真を撮るようになっているものですね。嫁に顔を入れてもらって撮りましたが、シュールです。www

生憎と嫁写真はUpしませんが。。


色んなキャラクターとコラボしてますね~。


自分みたいな邪念の多い大人はさほど面白くないですが、小さい子供さんがいるご家庭は楽しめるかと思います。


とはいえ、岩下の新生姜製品がもちろんいっぱい売っていますので、自分達もお土産に色々買って帰りましたよ。


今まで知らなかった製品もあって、買ってみましたが、総じてどれも美味しかったです。

お酒のつまみになるものばっかりを買ってましたが。

結構、おススメです。








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下野国の歴史をめぐる 下野薬師寺跡・下野薬師寺歴史館・下野国庁跡・下野国分寺跡・栃木県埋蔵文化財センター

皆川城から移動して途中お昼ご飯を頂き、下野国の歴史を知ろうといくつか重要な所を巡ろうと思います。

まずは薬師寺跡です。


上の写真、林の手前が薬師寺跡になります。


その昔、下野国は大変重要な所で、奈良時代では三戒壇の一つの場所として存在しました。


戒壇(かいだん)とは仏教用語で、戒律を授ける(授戒)ための場所とあります。


仏教が伝わっては来ましたが、僧侶は無税なので、勝手に僧侶を名乗るインチキものが多かったので、国の機関で僧侶と認めたものを僧侶とする。ということですね。

竹藪の向こうは普通の民家
なんか、最近の新興宗教とかと大して変わらない気がしますねぇ。

薬師寺跡としてはこれだけしか整備されていませんね。
昔からインチキ臭いのは居たってことですね~。

ちょっと寂しいですね。
戒壇は戒律を受けるための結界が常に整った場所であり、授戒を受けることで出家者が正式な僧尼として認められることになる。とあります。


そして三戒壇とは、東大寺に戒壇院を建立し、筑紫の大宰府の観世音寺、下野国(現在の栃木県)の薬師寺に戒壇を築いたこれを天下の三戒壇という。


ということで、いかに下野国が重要な所であったかが分かりますよね。


続いて下野薬師寺歴史館

近くの下野薬師寺歴史館に収蔵品があります。








 思ったよりも、収蔵品が少なかったかなぁ。それも仕方ないですね。

 戦国時代に戦に巻き込まれてお堂を焼失、以後はすっかりと衰退してしまったようです。


続いて下野国庁跡です。


資料館に気が付かず、このまま離れました。



草が茫々としていてちょっと遺跡跡に入れませんでした。

帰ってから気が付きましたが、すぐそばに資料館があったようです。


また行って見ましょう。

一番見たかったのはここ国庁跡なんですが、資料館を見逃したのは痛いです。

ここは奈良時代の当時、蝦夷との闘いで補給基地の役割をしていたのではないかとおもいます。

前線の拠点基地で有名なのは、先日訪れた宮城の多賀城ですね。

他には秋田城とかもありますよね。

弥生時代から東征と称して、何度も何度も追いやられていった蝦夷(縄文人のことなのだとおもいます。)ですが、奈良時代には多賀城以北まで追い込まれたということです。

自分が思うに出雲族と言われる人たちは蝦夷(縄文人)だったのではないかなぁ。とおもいます。

弥生人の最新武器に勝てなかったということなんだと思います。

続いて国分寺跡

周辺の古墳の分布図かなり多いです。

特に見る所は無さそうでした。






国分寺跡にはさほど興味はありませんでしたが、すぐそばの栃木県埋蔵文化財センターには興味があります。



なにやら素晴らしい勾玉が展示されていました。


新潟で有名な火焔土器っぽい土器があります。


交流があった様子が伝わりますね。


このパネルは衝撃的ですね。縄文海進という状態です。

この当時は平均気温が2~3℃高かったらしいので、水位が高くて海が広かったとのこと。

千葉は島ですからねぇ。。


縄文土器なんかもいくつかあったりして楽しいですよ。


もちろん埴輪もありました。


古墳は大きさよりも数が凄いです。



そんなわけで、まとまりが無いですが、栃木県の下野市や栃木市周辺の歴史でした。

家の近くでも色んな歴史を感じる所があり、そこここに色んな話があったのだと思います。

皆さんもご近所でも出掛けてる見るのがよろしいかと思いますよ。

今回はちょっと記事が盛り沢山でしたね。その分まとまりがなくすいません。

追記 <2020/2/23>

栃木に行くことがあったので、下野国庁跡資料館に行って来ました。


かなり資料的には少ない感じでしたね。


10分位あれば見終わる感じでしょうか。


上の写真が国分寺跡の領域


こっちは下野国庁の領域です、かなり大きいです。南北1km、東西0.5kmと言われるらしいです。


ここから下はよくある発掘品の説明と復元品関係ですね。





 東山道の関係が書かれているのはちょっと珍しいと思います。


先日、「馬」が動かした日本史という本を読みました。

飛鳥から奈良時代・平安時代位までは東海道は天竜川とかの河川に橋が作れることができない時代なので、全く発展しておらず、東山道がメインの街道だったとのことです。


そして、東山道沿いにはあちこちに勅旨牧・諸国牧(牧場)があり、それが発展していき駅制に繋がり、そして武士の発展に繋がっていくということを学びました。

ざっくり書きましたが、もっとしっかり、書かれていて、かなり面白い本でした。

おススメです。





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皆川城跡 栃木県栃木市皆川城内町

2019年8月18日の話です。

夏の旅行から帰って来ましたが、まだ、休みがあるので、お隣の栃木県へ足を運びました。

今回は近いので日帰りの旅です。


また、スライドショーを作ってみました。

今回、なんとBGMは私が作成しました。www

良かったら見てください。

一応、トイレもありました。

場所は皆川城です。

小さいほうの竪堀

ここ、東北自動車道からいつも見えていて、かねてより見てみたかった所なんです。

小さいほうの竪堀

どんな感じのところだろうかなぁ。と想像を巡らしてきましたが、かなり遺構が残っていて、大満足でした。


各郭の土塁なんかもかなり残っていて、往時を偲ぶことができました。

北側の土塁

これだけしっかりと造り込まれていて、しっかりと残っているのは素晴らしいと思います。

本丸を望む

軽く400年位は立っているわけですからね。


何処の城跡を見に行っても名だたるところはしっかりと残されているのが嬉しいですね。


地元の方の文化財を大事にする気持ちがどこに行っても伝わってきます。


歴史を愛する者にとってうれしいですね。

南方向
ところで、スライドショーのBGMですが、なんで作ったかというと、著作権の問題があるので、勝手に使うのはできないから、面倒なので、自分で作ろう。となったわけです。

本丸の展望台からの眺め、宇都宮方向
初めて作ったわけですが、面白いですね。

下野方向
自分、Electric系(ピコピコ系)が好きなので、前からやってみたかったんですよね。


今はアプリ自体はフリーなのでいいですよね。


気楽に始めることができるのがいいです。


仮に10万するとしたら、ちょっと二の足踏みますからね。


とりあえずは10曲くらい作ってみたいです。


楽譜も読めない素人の戯言なので、まぁ、多めにみてください。


1曲作ったら、作り方がほぼ分かったので、あとは頑張って作ってみたいと思います。

大きいほうの竪堀
仕事よりも趣味が楽しくて、しょうがないですね。


定年退職してもやること多くてだめですね。

大きいほうの竪堀を下から眺める
 ボケなくていいかなぁ。


 ま、でも、インドアにならないように気を付けないといけないですね。

年と共に代謝が悪くなってきて、ダメですねぇ。








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