富士登山 持ち物リスト

自分の登山してみた結果、持ち物リストを考察してみると以下のようになりました。

table { border-collapse: collapse; } th { border: solid 1px #666666; color: #000000; background-color: #FFFFFF; } td { border: solid 1px #666666; color: #000000; background-color: #ffffff; } thead th { background-color: #FFFFFF; }



持ち物リスト

登山装備

登山用リュック 20~30ℓ程度 腰でホルードするものがいい


25Lで入り切る位の荷物が楽だと思う。大きいと余計なものを入れる

リュックカバー 基本リュックに付いているが、無い場合は用意


防水スプレーしておく

トレッキングシューズ(なるべく防水性のいい物)


ハイカットのもの、防水スプレーしておく

ストック


下山時の膝への負担がかなり減る。

ヘッドライトと予備電池


御来光を見るための夜間登山時

ゲイター(靴のなかに雨や砂や小石が入りにくくなる)


必要、下山道は小石が多く靴に石が入りやすいので防ぐ

スポーツタイツ・スパッツ(運動を補助するもの)


履くとかなり楽

雨具(防風、防寒にもなるもの、安価でシンプルなものでいい)


耐水圧、透湿度に注目、ワークマンで良い

帽子


帽子は薄いのと冬用(耳が隠れるもの)の2種類

手袋


帽子と同じく薄手と厚手があるといい。

フェイスマスク(下りのとき鼻の穴が真っ黒になるのを防ぐ為)


あった方が良い。タリバンみたいのが良い。

サングラス


天候によって必要

服装

厚手の長袖シャツ


要らなかったが、あってもよかった。登山用が良い

長ズボン


登山用で

防寒着(ダウンジャケット・フリースなどを重ね着する)


フリース+ダウン+カッパで良い

厚手の靴下(登山用・スキー・スノボなどのもの)


靴擦れにならないように

タオル(汗拭き、手洗い、枕カバー用)


長タオルよりも普通のタオルが良いように思う。下山時のマスク替わりに

就寝時の着替え(雨や汚れで寝袋の使用を断られる時がある)


最低限の下着だけで良い、タオルさえあれば拭いて凌げる

飲食

行動食(エナジーゼリー・カロリーメイトなど)


エナジーゼリーが一番良かった。

間食 チョコレート、あめ など


塩飴のみ必要、口に残るものは水分が必要になるのでやめる

水分 1リットル程度(山小屋で売っているので別段不要) 


いらない買えば良い。買うならエナジードリンクが良いがゼリーで補える。

その他

スマホとモバイルバッテリー


モバイルバッテリーは軽いもので。1回充電できれば良い。

カメラと予備バッテリー


軽量・コンパクトのものにするべき

ビニール袋(ゴミ袋・ジップロック)


ビニール袋に着替えなどを入れてリュックに入れる(雨対策)

薬、絆創膏,日焼け止めなど医療品


日焼け止めは必ず必要

地図 (持ってない人は、いらない)


要らない、案内板はしっかりしていて不要

保険証


念のため

現金 (暖かい飲み物、食べ物を購入)*トイレ200円


トイレの小銭が必要

トイレットペーパー 適量


大して使わない

目のよくない人(メガネ、コンタクトの予備)


ケースも忘れずに


注意事項

下着 → なるべく綿の生地は避け、化学繊維などの汗を出してくれるウェアが良い、濡れても肌寒さを感じないもの。

普段、綿の下着の人も、下着の着替えを持つべきだが、荷物になるのでなるべく避ける。

汗をかいた状態のまま頂上付近で御来光を待っていたりして、強風に吹かれると、とても寒く感じ、その後の体調を崩してしまう恐れがある。

足の爪を短めにしておく(下山時に血豆になり血だらけになる可能性がある)

山頂の気温は関東の真冬と同じくらいの気温。

なおかつ、通常、単独峰なので風が相当強く、体感温度が-5度位に感じるのが普通。

ダウンジャケット・フリース・カッパを重ね着して防寒をする。

一泊でも雨天でないようであれば、着替えは持たない方が良い。

ホント、荷物は少ないようにするべき。
... 続きを読む

富士登山 

2019年9月6日~7日、人生初の富士山へ登山してきました。

会社の同僚が以前から誘ってくれていたのですが、いつも彼らの登山は弾丸登山なので遠慮してましたが、今年は会社の女性陣も行くので一泊二日ということになったので夫婦で参加しました。

結果的には二日共、天候に恵まれて風も無く穏やかで最高の富士登山となりました。


自分的にはまた登ってもいいなぁ。と思っています。

ただ、嫁はダメでしょうね。全くの足手まといでしたので。


いつも登山はそうですが、付きっ切りで面倒見ることになり、自分的には不完全燃焼でしたね。

今回、彼女は特に酷かったですね。体力の無さと高山病と荷物の重さでグロッキーでした。


今回は彼女が歩くのが遅く時間が掛かりすぎて、お鉢巡りもできなかったし、そもそも剣ヶ峰にも行けなかったんですよね。

吉田ルートから登り淺間大社 奧宮 久須志神社で御朱印を頂き下山となりましたからね。


日頃の運動不足がテキメンに出ていますね。

食事もそもそも自分よりも食事は旺盛で食べるしね。


ちょっと真剣にダイエットしてもらいたいと思います。

さりとて、自分はどうなんだと言われれば、彼女よりはマシって程度でしょうか。


彼女のペースに付き合っていたので、息は上がらず、(なので高山病にはならず)のんびり写真を撮りまくってたので、そこは楽しかったですが。

ただ、今回、自分も含めて荷物の重さが気になりました。


そもそも、荷物が少なければ(体の脂肪分も含めて)、息が上がる=だんだん高山病になる。ってサイクルに陥らないと思うのですよね。

なので、ホント、極力荷物は少なくしないとダメですね。


それと疲れ果てて、着の身着のままで寝てましたので、結果的に山小屋での着替えとかは必要無かったですね。

とはいえ、雨の時は濡れたままというのは困るので、タオルは必要ということでしょうかね。


ところで、山小屋に初めて泊まりました。

押入れの2段目に雑魚寝といった感じです。


7:30頃消灯で、2:30に起床です。

とはいえ、高地なのでか、時間が早いからなのか、妙に寝付けないのですよね。


体は疲れているのですが。。

寝袋は暑くて、入っておられず、毛布のみ腹にかけて寝ましたが。。


寝たのか、寝てないのか、分からない感じでした。

とはいえ、翌日もしっかり動けたので、まぁ、多少は寝たのでしょう。

下山して駐車場に着いたときには車で3時間ほど爆睡しましたが。。

でも、ホント、天候のありがたさを感じました。
... 続きを読む

東海を巡る真冬の旅 山梨県大月市 岩殿城 岩殿山城

さて岩殿山城に到着しました。 ここ、久しぶりで、駐車場がどこだったか?と調べるとあまり書かれていないんですよね。 なので、いい説明用の写真が取れましたので、参考にアップしておきます。 [caption id="attachment_3701" align="aligncenter" width="515"]岩殿山城の駐車場は黄色の丸で示してます。 岩殿山城の駐車場は黄色の丸で示してます。[/caption] 黄色の丸のところが駐車場です。参考までに。 まぁ、岩殿山城を目指してくればまず大丈夫だと思います。 駐車場から道沿いに歩いて行きますが、登り口がちょっと分からないなぁ。。と思っていると、 前を歩く下校途中らしき中学生くらいの女の子達に「登り口はどこでしょう?」と聞いてみました。 親切に指をさして、「すぐそこの左から登れますよ。」とのこと。「ありがとうございました。」と返して、頑張って登城と行きましょう。 [caption id="attachment_3701" align="aligncenter" width="515"] 丸山公園の下から望む岩殿山城 丸山公園の下から望む岩殿山城[/caption] しかしながら、つくづく思います。よくもまぁ、こんなところに城を作ったものだと。 [caption id="attachment_3403" align="aligncenter" width="512"]岩殿山の説明板 岩殿山の説明板[/caption] そもそもは天台宗のお寺だったんですね。 修験の山でしたか。確かにそんな感じです。 少し登ると「岩殿山ふれあいの館」という城風な建物が見えてきます。 [caption id="attachment_3404" align="aligncenter" width="512"]岩殿山ふれあいの館の入り口 岩殿山ふれあいの館の入り口[/caption] 昔、来たときは無かったなぁ。 今、城巡りしてる人もかなり増えた実感がありますが、史跡を大事にしてもらえて整備して貰えるのは嬉しいなぁ。と思います。 こういった整備などをしてくださっている皆さんに感謝です。 [caption id="attachment_3405" align="aligncenter" width="512"]岩殿山の案内図 岩殿山の案内図[/caption] 「岩殿山ふれあいの館」はこの写真の丸山ってところですね。 [caption id="attachment_3707" align="aligncenter" width="515"]岩殿山中腹からの富士山 岩殿山中腹からの富士山[/caption] 振り向くと富士山が見えます。 なんだか、我々の登山(登城)を応援してくれているように思えます。 しかし綺麗です。 この景色が見れるからここはいいですよね。 「岩殿山ふれあいの館」から上に登って行くあたりからが傾斜のキツイ山道です。 ホント、結構、しんどい。 頑張って、頑張って、登って行くとやっと揚城戸跡が現れます。 [caption id="attachment_3702" align="aligncenter" width="515"]岩殿山城 揚城戸跡 岩殿山城 揚城戸跡[/caption] ここまで来ればもう登ったも同然です。 揚城戸から本格的な城跡です。揚城戸は門跡とのこと。 抜けると番所跡があります。 [caption id="attachment_3408" align="aligncenter" width="512"]岩殿山城 番所跡 岩殿山城 番所跡[/caption] 下の写真は西物見台と言われた岩を安全のため(下に中央高速が走っている)撤去したらしいです。 確かに写真を見るとこれは落ちるとヤバいです。 グーグルマップとかで確認してもらえるとわかると思いますがホント高速が真下なんです。 あのインプレッサがギリギリ逃げたトンネル崩落事故もこの先のトンネルだったし。 事故が未然に防げるならば、史跡とは言え、こういった安全対策は大事ですよね。 [caption id="attachment_3409" align="aligncenter" width="512"]礫岩の露頭を撤去した案内板 礫岩の露頭を撤去した案内板[/caption] 岩殿山城は小山田氏の城では無く、武田の城であった。という見解があるそうです。 この件に関しては、まだ、そういう話があるという程度に収めておく感じではあるようです。 最近は今まで定説だったものが、研究が深まるにしたがって、置き換わることがあるようなので、うかうかしていられないですよね。 [caption id="attachment_3410" align="aligncenter" width="512"]岩殿山城 馬屋跡 岩殿山城 馬屋跡[/caption] 南物見台からの富士山。ほんと素晴らしい。 [caption id="attachment_3710" align="aligncenter" width="515"]岩殿山城 南の物見からの富士山 岩殿山城 南の物見からの富士山 絶景ですよ。[/caption] 縄張り図とまでは行かないですが、概略図です。 [caption id="attachment_3412" align="aligncenter" width="512"]岩殿山城跡 案内図 岩殿山城跡 案内図[/caption] 大手門を通って来ていないですが、今回はまぁ、良しとしましょ。 いずれまた稚児落としとかに行ってみたいので、その時にしましょう。 稚児落としですが、ご想像の通り、落城時の悲話に繋がるお話です。 [caption id="attachment_3413" align="aligncenter" width="512"]岩殿山城の説明板 岩殿山城の説明板[/caption] 下の写真は、馬場跡です、こんなに急峻なのに、馬が登れるのが凄いです。 ここから乗ったまま出撃してたのでしょうか? 馬に乗ったこと無いので分からないですが、ちょっと怖いですね。 正面、真っすぐ登って行くと本丸です。 正面、右手に行くと円通寺方面の道です。 [caption id="attachment_3414" align="aligncenter" width="512"]岩殿山城 馬場跡 岩殿山城 馬場跡[/caption] その手前に水場です。 二つあるのは上側(写真右)が人用で、下側が馬用とのことらしいです。 [caption id="attachment_3415" align="aligncenter" width="512"]岩殿山城 水場もしくは井戸 岩殿山城 水場もしくは井戸[/caption] 水がちょっとあります。 池とありますが、掘れば少し水が出そうではあります。 しかし、こんなに岩山ですが、山頂で水が出るとなると、ホント、城を造らずに、何造るんだという感じですね。 これだけ好条件が揃う所も珍しいですよね。 難攻不落、この言葉がピッタリです。 [caption id="attachment_3416" align="aligncenter" width="512"]岩殿山城 水場こちらは人用 岩殿山城 水場こちらは人用[/caption] 用水池との説明、説明には山側が人用、崖側が馬用とあります。 [caption id="attachment_3417" align="aligncenter" width="512"]岩殿山城 水場 説明板 岩殿山城 水場 説明板[/caption] 馬用はしっかり水がありました。 [caption id="attachment_3418" align="aligncenter" width="512"]岩殿山城 水場 馬用 岩殿山城 水場 馬用には水がありましたよ。[/caption] さて、本丸を目指します。 途中の蔵屋敷跡 [caption id="attachment_3419" align="aligncenter" width="512"]岩殿山城 蔵屋敷跡 岩殿山城 蔵屋敷跡[/caption] 本丸跡です。 [caption id="attachment_3420" align="aligncenter" width="512"]岩殿山城 本丸跡 岩殿山城 本丸跡[/caption] 現在はテレビ塔となっています。2つ建っていました。 山城の場合はたまにアンテナが立っていることがありますよね。 史跡も大事ですが、地元住民の方の生活も大事です。 [caption id="attachment_3421" align="aligncenter" width="512"]岩殿山城 本丸跡のアンテナ塔 岩殿山城 本丸跡のアンテナ塔、右手、土塁残ってますね。[/caption] 岩殿山城は規模は小さい城ですが、難攻不落だなぁ。。。と改めて思い知らされますね。 ここは攻めるのではなく、囲んで兵糧攻めで落ちるのを待つしかないお城ですね。 [caption id="attachment_3422" align="aligncenter" width="384"]岩殿山城の屏風のような岩 岩殿山城の屏風のような岩[/caption] ちょっと下って改めて撮ってみました。ここから見ると城を攻めるのは絶望的に感じますよね。この上に城があるんだからなぁ。。 岩殿城と岩殿山城という二通りの言い方がありますが、最近は岩殿山城というようです。 今回は岩殿山城と呼びました。
ただ、武田贔屓の自分にとって、武田勝頼公の最後を思うと、いつも切なくなります。 また、近いうちに景徳院へお墓詣りして来よう。そして恵林寺へも。 武田信玄公と武田勝頼公の本は色々と読みましたが、新田次郎さんの本が読んで見て一番いいように思います。
あと、最近では、この本が注目ですね。
元亀2年の信玄の三河侵攻は無かった・・・ということになりそうです。
... 続きを読む

東海を巡る真冬の旅 山梨県大月市 猿橋

さて、お伊勢参りをまず目指すのですが、その前に山梨県大月の岩殿城を目指しています。 これはちょっとまた、後で説明しますが、スマホのGPSによる城取ゲームの為です。 岩殿城は以前にも登城したことがあるのですが、今の時期行くと綺麗な富士山が見れますので、何回でも登城したくなる場所でもあります。 とはいえ、かなりな登山で大変なのですが。。 岩殿城を登城すべく20号線を下って行くと中央高速の渋滞ポイントで有名な猿橋バス停のそばにありました。 何が?って、猿橋です。猿橋。 「猿橋ってホントにあるんだ~」と思いながら、立ち寄って見ました。 日本三奇橋の一つと言われるようです。 日本三奇橋ってのも微妙ですが、変わったものは見てみたい派なので、ちょっと見学。
日本三奇橋とは、
  1. 甲斐の猿橋:木造で現存してます。
  2. 岩国の錦帯橋:木造で現存しています。あの有名な錦帯橋ですね。
  3. 富山の愛本橋:こちらは木造ではなく、現代造りのアーチ橋になっています。黒部市歴史民俗資料館に模型があるようです。
とのことです。
  [caption id="attachment_3675" align="aligncenter" width="515"]猿橋 猿橋をちょっと下から眺める[/caption] 確かに構造的にアーチ式ではなくて梁というか土台部分を岩盤に長く差し込んで持たせてあるのは面白いですね。 かなり工夫している様子がわかります。 基礎になる下側からの梁の部分はどれだけ地中に埋まっているんでしょうか。 [caption id="attachment_3677" align="aligncenter" width="515"]猿橋からの眺め 猿橋からの眺め 東側を見たところ[/caption] ちょっと分かりませんが、面白いことに、下からの梁の部分から上に向かっていくと、丸く弧を描いているのが分かりますね。 太鼓橋とまでは行きませんが、やはりアーチ的な感じにしているのが効いているのでしょうね。 昔の大工さんも素晴らしいよなぁ。と感心します。いつまでも、残してほしいですね。 ここから下を眺めるとなかなか綺麗なところです。 [caption id="attachment_3678" align="aligncenter" width="515"]猿橋から下をみる 猿橋から西側を眺めたところ[/caption] かなり深い渓谷ですが、橋は絶妙に狭いところに掛かってますね。 昔からこの場所は地境のため争いが絶えなかったようです。 武田信玄公の父親である武田武田信虎公と上杉憲房公(山内上杉家、後の謙信公が三代後に養子になる上杉家)で争っていたり、武田信長公(のちの上総を治めた初代真理谷氏)と足利持氏公(鎌倉公方)が争ったりしていますね。 たしかに橋を作ればそこが係争地に発展する場所ですねここは。 [caption id="attachment_3674" align="aligncenter" width="515"]甲斐の猿橋説明板 甲斐の猿橋説明板[/caption]
細かいことは 猿橋のWikipedia に譲るとして、「猿橋」ってホントにあるんだ~。という思いと、意外と面白い構造だなぁ。と。
意外と良いものが見れて良かったです。 こういった建築物が大好きなもので、なるべく見ておきたい感じです。 ちなみに下の地図にも表示されている、大月市郷土資料館に精巧な猿橋の模型が展示されていますので、ご興味のある方はそちらも見学されると、より一層知識が深まるかと思います。 さて、当面の目標の岩殿山城を目指しましょう。
... 続きを読む