大王埼灯台を見に行くと、もれなく波切九鬼城址を見学することができますよ。
写真の岬部分が城址ですが、砦と言ったほうがしっくりきますね。
若干ですが、土塁が残ってます。
こちら虎口の土塁なので、ちょっと高く分厚くなってますね。
波切九鬼城址に関する案内板がありましたので、載せておきます。
ちょっと、攻めにくい城ですが、砦程度の大きさなので、囲んで兵糧攻めがいいのでしょうね。
でも、海も囲まねばならず、そうなると水軍のお城なので、海側での海戦になることは間違いないでしょうね。
九鬼氏の中でも、九鬼嘉隆公が一番有名ですが、大まかな流れを追ってみましょう。
桶狭間の戦い後、信長に仕え始めたと言われています。
仲介したのが、滝川一益だったとのことなので、伊勢に侵攻する前あたりから仕え始めたのでしょうかね。
信長によって北畠具教を攻める戦いのとき、嘉隆は水軍を率いて北畠の支城である大淀城を陥落させるなどの活躍により、織田家の家臣団の一員になったようです。
その後は、伊勢長島の一向一揆戦でも活躍。
第一次木津川口の戦いでは、毛利方の毛利水軍・小早川水軍・村上水軍に対して炮烙玉や火矢の攻撃でボロ負け。
そのため、信長は大激怒!!
信長の指示により、炮烙玉や火矢に強い船の開発命令を受けて、2年掛けて鉄甲船を開発これにより、第二次木津川口の戦いでは、毛利方の毛利水軍・小早川水軍・村上水軍に対して、大勝!!
蛇足ですが、木津川口の戦いの話で、自分が好きなのは、和田竜さんの「村上海賊の娘」がおススメです。
これは村上水軍側の話ですが、和田竜さんの話は読み応えがあるので、割と好きですね。
文禄・慶長の役でも活躍しています。
初め李舜臣率いる朝鮮水軍に敗北し撤退、水軍の敗戦により秀吉は戦術転換の命令を下す。
出撃しての海戦を避けて陸海共同での沿岸防備に方向転換したので、日本の水軍は朝鮮水軍の攻撃を何度となく撃退して、朝鮮水軍の積極的な活動は激減する。
伊藤潤さんの本がおススメです。
そして、この辺りで隠居ですね。
最後はちょっと悲しいお話になりますので、ご自身でお調べになって見てくださいね。
九鬼水軍と言えば、信長に命じられて造った、鉄甲船ですよね。
いったいどこで作ったのでしょうか、そう思い調べると、伊勢大湊だったとのことです。
九鬼氏というと、九鬼文書なんていうものもあるし、これも一体、どういうことなのか。。。 不思議な本ですよ。興味がある方はご一読ください。
九鬼氏は現在でも子孫の方がおられるようです。
四日市の九鬼産業さんにルーツとして紹介されていました。
あと、スポーツ選手として、福岡ソフトバンクホークス捕手の九鬼隆平さんとのことです。
なかなかに皆さんご活躍されているようで、素晴らしいですね。