2024 夏 北海道の旅 6日目 旧標津線奥行臼駅 新酪農村展望台 麺処 水無月 開陽台

北海道の旅六日目(2024/8/5)のその2です。

風連湖から、野付半島を目指します。

以下の感じで進みます。

途中、廃線となった旧標津線奥行臼駅を覗いてみました。

なんか、廃線跡の旅みたいな側面も出てますね。

なんか、ノスタルジックな感じというか、昔、人々が活動したであろう歴史を想像するのが、切ないですが楽しいというか。

その時の人たちの想いみたいなものが伝わってくるような気がします。

ホームはもうかなり古くなってしまって、電柱や駅の表示板などが傾いてしまってます。

線路は駅周辺だけ残っているようですね。

見ている時は、誰も訪れて来る人が居りませんでした。

で、次は新酪農村展望台です。

結構な高さがありますよ。

10m以上あるのではないでしょうか。

天気が良ければ、最高なのになぁ。。

車もあんなに小さく見える。

雨が降ると滑りそうなので、注意してくださいね。

こんな感じの場所になります。

さて、巡っている間に、お昼になりました。

ご飯にしましょう。

「麺処 水無月」にて食事を頂きました。

自分は肉そばで、嫁様はうどんを頂きましたよ。

美味しかったです。

お腹を満たして、次はスーパー(フレスポ中標津 スーパーアークス)へ寄りました。

今晩も車中泊の予定なのですが、知床の「道の駅 うとろ・シリエトク」にて車中泊しようと思っていますが、周辺にスーパーらしきものが無さそうなので、事前に購入して向かいます。

地元スーパーに寄ると、面白いものが見つかるので、結構好きなんですよね。

次に向かった所は、バイカーの聖地ですかね。

自分達世代のバイカー人は、長野のビーナスラインと阿蘇の大観峰と北海道の開陽台は知ってるような気がします。

開陽台ですが、曇りです。残念です。

開陽台の展望台からは霧が濃いです。↑

ちょっと下った所からの方が、霧が切れていて良く見えました。

ちょっとだけ、地球が丸く見えたかなぁ。

機会があればリベンジしたい所ですね。

そして、道は遥か彼方まで、真っ直ぐになって行きますね。

2024 夏 北海道の旅 6日目 明治公園 日本最東端の駅 東根室駅 風連湖

北海道の旅六日目(2024/8/5)のその1です。

昨夜(2024/8/4深夜)からお腹を壊しました。

美味しい物を食べ過ぎた呪い(?)でしょうか。

単に貝類を食べ過ぎたような気もします。

結構、何日も痛かったので大変でしたが、なんとか旅行は続けることが出来ました。

この日、最初に訪れた所は、明治公園というところです。

このサイロを撮りたかったのですよね。

広々していい所でしたよ。

天気は昨日に引き続き曇天です。

困りましたね。

晴れると良いのですけどね。

続いて、日本最東端の駅 東根室駅です。

無人駅でした。

駅舎も無いのですね。

2025/3月にて廃駅になるそうです。

残念ですね。

ニャンコがいました。

若い子が二匹(生後半年~1年位でしょうかね。)と、まだ生まれて2,3月の感じの子猫、兄弟なのかなぁ。仲良かったな。

モフれなかったぁ~。残念でしたぁ。

次は風連湖へ向かいます。

途中、腹痛の薬をドラッグストアで購入して向かいます。

また、ちょっと寄り道して、「道の駅スワン44ねむろ」に寄って、カニを購入して、家に送って貰うように依頼しましたよ。

後日、家に届きまして、美味しく頂きました。

さ、風連湖なのですが、霧が濃くて全く楽しめませんでした。

写真は途中の風景ですね。

↑ これが三匹の子豚の家と言われる所です。

天候を恨みながら、次の場所に向かっていると、道の真ん中に何か落ちてる?ので、良く見ると野鳥でした。↑

どうやら、車に接触してしまい、脳震盪を起こしてしまったようです。

道の真ん中だと、轢かれてしまうとかわいそうなので、そっと捕まえて道の端に、放してあげました。

持った時は、ちょっと、暴れましたが、放してもまだ、飛べないようすでしたね。

ちなみに「アリスイ」の幼鳥のようです。

↓ こんな感じで進んでます。

今村天主堂

2022年1月2日

福岡県太刀洗町にある今村天主堂へ行って来ました。

この日は嫁推しのスポット巡りです。

残念ながら、老朽化の為、現在、施設の中への拝観はできませんでしたが、外観だけでも素晴らしいです。

長崎だけでなく、ここ太刀洗にも隠れキリシタンの方がいらしたので、建設された経緯があるんですね。

知らなかったでした。

中の様子が案内に写真として載っていますが、ステンドグラスとかかなり綺麗そうな雰囲気のようです。

地震などで倒壊する恐れがある為、拝観できないそうです。信者の方もお困りだろうと思います。

ん~、見れないのは残念ですね。

修復の為に寄付を募っているそうですので、興味のある方はこちらのサイトへどうぞ。↓

[blogcard url=”https://www.town.tachiarai.fukuoka.jp/page/page_02605.html”]

こちら太刀洗町のサイトで、ふるさと納税と同じで控除されるらしいので、色々とメリットあるし安心です。

ちなみにここ今村天主堂のそばには面白い路面標示がありました。

ちょっとピンボケですいません、「あぶなかばい」と書いてあります。

「あぶなかばい」と書いてありました。面白い。

今村天主堂の地図を載せておきますね。↓

渡良瀬遊水地 ホフマン窯

前回の記事の続きです。

前回の記事はこちら↓

[blogcard url=”https://ysand.myds.me/2021/05/07/stork-and-owl2/”]

無事、フクロウを写真に収めることができ、目的の一つが達成できました。

あと、ホフマン窯の見学とコウノトリが見れると良いのですが。

ということで、ホフマン窯です。

今回は見学が可能でした。良かった。

見学料として、大人一人100円という良心的な価格です。

見学の際にはヘルメットを着用します。

頭が当りそうな所がいくつかありますので、しっかりとしておいた方が良いと思います。

所々ある天井の窓が燃料投下用の窓です。

早速、中を見てみましょう。


見学コースの最初の所は凄く綺麗ですね。

円状に16個の窯(部屋というと分かりやすいかな。)があり、一つの窯にレンガを詰めたら、閉鎖して、乾燥→余熱→焼成→冷却というサイクルで工程を経ていくとのこと。

面白いですね、効率的です。

猫の足跡
猫の足跡、こんなところまで入ってしまうのですよね。猫。

埼玉北部に住む自分達の家のそばの深谷にもレンガ窯がありますが、ここまで綺麗に残っておらず、ここに見学に来たのでした。

前回、深谷で聞いた話ですが、耐火レンガを焼くのに窯のレンガは耐火レンガでは無い。とのことでした。

積み方が長方向と短方向を交互に積ませて耐久性を持たせている

レンガが痛んだら補修するだけで、別段、耐火レンガではないそうです。

面白いですね。

この辺りは、補強の為にパイプが張り巡らされています。

点火用の窓です

一つだけ面倒だと思ったのは、閉鎖するときにもレンガを利用し、焼きあがったレンガを取り出すときは、蓋のレンガを壊さなけらばならないのは、ちょっとめんどうですね。

まぁ、とはいえ、明治の頃ですからこれでも最先端技術だったのでしょう。

丸い穴に蓋が付いていますが、ここから燃料の炭を投下していたのですね。

ここは2階部分、火と煙の管理をしていた所になります。

上の写真右手の上に伸びるのが煙突で、焼いたときの煙は全てここに集まるようになっています。

良くできていますね。

第九号と書いてあります。

模型

あと、ホフマン窯とは別に資料館がありますので、覗いてみました。

分かりやすい説明

レンガの説明は簡単ですが、子供達には分かりやすくてイイですね。

粘土を丸めたら下の型に入れるとのこと。

下は各地で生産されたレンガ、結構、あちこちで作ってますね。

見学したら、ちょうどお昼になりました。

ここ、ご飯を食べるにも便利です。

こびとカフェというお店も併設されていています。

しかもちょっと美味しいのでおススメです。

夫婦で訪れましたので、ペアセットにしました。

キノコのピザ

料金は2400円

白菜と鶏肉のペペロンチーノ

好みのパスタと好みのピザを選択できます。

セットなので、サラダとスープが付いてきます。飲み物も付いてきます。

サラダ、スープ、飲み物が付いてきます。

美味しかったですよ。おススメです。

ちなみに前記事のフクロウ神社こと野木神社の前のお父さんフクロウの剥製がありました。

子供の写真もあったりして。

なかなか、良い所でした。

生品神社 群馬県太田市新田市野井町645

名草巨石群を見た後に、新田義貞が挙兵した地である、生品神社へ行って来ました。

足利学校へは以前行ったことがあるので、新田義貞公にまつわる所に来てみました。

新田義貞公は悲運の武将ですよね。

足利尊氏との闘いでは負けてしまいましたが、自分的には足利尊氏の姑息なやり方よりも新田義貞公の清廉潔白な感じに惹かれます。

南朝に尽くして尽くして、苦闘していく様は、物悲しいものがあります。

ここ生品神社、凄く静かで荘厳な雰囲気です。

地元の方が定期的に掃除されているのでしょうかね。荒れていなくて、爽やかな雰囲気です。

良い神社だと思います。

最後に新田義貞公の銅像をみて帰りました。

御朱印は社務所が開いていれば貰えるそうです。

下野国の歴史をめぐる 下野薬師寺跡・下野薬師寺歴史館・下野国庁跡・下野国分寺跡・栃木県埋蔵文化財センター

皆川城から移動して途中お昼ご飯を頂き、下野国の歴史を知ろうといくつか重要な所を巡ろうと思います。

まずは薬師寺跡です。

上の写真、林の手前が薬師寺跡になります。

その昔、下野国は大変重要な所で、奈良時代では三戒壇の一つの場所として存在しました。

戒壇(かいだん)とは仏教用語で、戒律を授ける(授戒)ための場所とあります。

仏教が伝わっては来ましたが、僧侶は無税なので、勝手に僧侶を名乗るインチキものが多かったらしいです。

その為に、「国の機関で僧侶と認めたものを僧侶とする。」ということです。

勝手に僧侶と名乗る人が多かったということなんでしょうね。

税の負担が多かったことの現れでもあるように思います。

竹藪の向こうは普通の民家↑

なんか、最近の新興宗教とかと大して変わらないような気がしますよね。

薬師寺跡としてはこれだけしか整備されていませんでした。↑

昔からインチキ臭いのはどこにでも居たってことですね。

戒壇は戒律を受けるための結界が常に整った場所であり、授戒を受けることで出家者が正式な僧尼として認められることになる。とあります。

そして三戒壇とは、東大寺に戒壇院を建立し、筑紫の大宰府の観世音寺、下野国(現在の栃木県)の薬師寺に戒壇を築いたこれを天下の三戒壇という。

ということで、いかに下野国が重要な所であったかが分かりますよね。

続いて下野薬師寺歴史館

近くの下野薬師寺歴史館に収蔵品があります。

 思ったよりも、収蔵品が少なかったかなぁ。それも仕方ないですね。

 戦国時代に戦に巻き込まれてお堂を焼失、以後はすっかりと衰退してしまったようです。

続いて下野国庁跡です。

資料館に気が付かず、このまま離れました。

草が茫々としていてちょっと遺跡跡に入れませんでした。

帰ってから気が付きましたが、すぐそばに資料館があったようです。

また行って見ましょう。

一番見たかったのはここ国庁跡なんですが、資料館を見逃したのは痛いです。

ここは奈良時代の当時、蝦夷との闘いで補給基地の役割をしていたのではないかとおもいます。

前線の拠点基地で有名なのは、先日訪れた宮城の多賀城ですね。

他には秋田城とかもありますよね。

弥生時代から東征と称して、何度も何度も追いやられていった蝦夷(縄文人のことなのだとおもいます。)ですが、奈良時代には多賀城以北まで追い込まれたということです。

自分が思うに出雲族と言われる人たちは蝦夷(縄文人)だったのではないかなぁ。とおもいます。

弥生人の最新武器に勝てなかったということなんだと思います。

続いて国分寺跡

周辺の古墳の分布図かなり多いです。

国分寺跡にはさほど興味はありませんでしたが、すぐそばの栃木県埋蔵文化財センターには興味があります。

なにやら素晴らしい勾玉が展示されていました。

新潟で有名な火焔土器っぽい土器があります。

交流があった様子が伝わりますね。

このパネルは衝撃的ですね。縄文海進という状態です。

この当時は平均気温が2~3℃高かったらしいので、水位が高くて海が広かったとのこと。

千葉はほぼ島という感じですからねぇ。。

縄文土器なんかもいくつかあったりして楽しいですよ。

もちろん埴輪もありました。

古墳は大きさよりも数が凄いです。

そんなわけで、まとまりが無いですが、栃木県の下野市や栃木市周辺の歴史でした。

家の近くでも色んな歴史を感じる所があり、そこここに色んな話があったのだと思います。

皆さんもご近所でも出掛けてる見るのがよろしいかと思いますよ。

今回はちょっと記事が盛り沢山でしたね。その分まとまりがなくすいません。

追記 <2020/2/23>

栃木に行くことがあったので、下野国庁跡資料館に行って来ました。

かなり資料的には少ない感じでしたね。

10分位あれば見終わる感じでしょうか。

上の写真が国分寺跡の領域

こっちは下野国庁の領域です、かなり大きいです。南北1km、東西0.5kmと言われるらしいです。

ここから下はよくある発掘品の説明と復元品関係ですね。

 東山道の関係が書かれているのはちょっと珍しいと思います。

先日、「馬」が動かした日本史という本を読みました。

それによれば、飛鳥から奈良時代・平安時代位までの東海道は天竜川・大井川とかの河川に橋を作ることが、技術的にまだできない時代なので、全く発展しておらず、東山道がメインの街道だったとのことです。

そして、東山道沿いにはあちこちに勅旨牧・諸国牧(牧場)があり、それが発展していき駅制に繋がり、そして武士の発展に繋がっていくということを学びました。

ざっくり書きましたが、もっとしっかり、書かれていて、かなり面白い本でした。

おススメです。

「東北車中泊の旅八泊九日その4」 多賀城跡 宮城県 日本三大史跡

2019年8月8日、夏の旅初日の話です。

旅の初め初日の一発目は多賀城跡です。

ここは以前、来たことがあるのですが、通り過ぎた程度なもので、しっかり見て無かったのですよね。

GPSゲーム攻略の為なんですけど。

なので、しっかり見てみようと思い今回は時間を掛けてゆっくり見たいと思っています。

多賀城は蝦夷討伐の為の拠点となった所ですね。

自分的には高橋克彦さんの歴史小説で蝦夷の歴史を知り、訪れて見たいと思いました。

高橋克彦さんの本は面白いですね。

本への没入感が凄くて、次はどうなるのか?次はどうなるのか?とワクワクして読んでました。

このほかにもアテルイも読みましたし、時宗も読みましたよ。

しかし、この本の中で知った蝦夷の歴史には考えさせられました。

当時の蝦夷の方々の無念さは測り切れないです。

ただ、当時は和人も庶民はさしてどうということもなく、貴族のみが人なり、それ以外は人ではないぐらい差があったのだろうかと思います。

そう考えると、現代に生まれたのは、良かったのでしょうかね。

さて、そんな多賀城ですが、一回りするのに約2時間程、掛かりました。

広いですね。

当時の城柵はホントどうしてか縄張りを四角にしますよね。

あれだと地形的にマッチしなくて、弱い部分がかなりできそうですけどね。

でも、兵を常駐しておくことで、抑止力として働いている感じなのでしょうね。

本来は国府とか役所の意味合いのほうが強いのでしょう。

正殿跡の礎石の中に、願掛けすると宝くじが当たるものがあるとか。

日本三大史跡の一つでもあるらしいです。他は、奈良の平城京、福岡の太宰府とのこと。

そういえば、平城京は修学旅行で行ったのだっけ?忘れました。。

太宰府には何度も行ったことがあります。

平城京かぁ。久しぶりに奈良に行きますかねぇ。

明日香村にも行きたいし。

初夏の福井の旅 四日目 まとめ

馬籠を見学したあと、ちょっと小腹が空いたので、眺めの良い所でラースポ(野外でラーメン食べること)です。

馬籠から移動して木曽福島城を見ようかと思いましたが、登山口が良くわからず断念しました。

なので、山村代官屋敷の写真しか撮れてないです。

ここからは高速を乗り降りしながら家に帰ってます。

途中、高速の辰野PAで山賊焼きを二人で一つ頂きました。

なかなか美味しかったです。

ローメンとどっちにするか迷いましたが、山賊焼きも良いですよねぇ。

ということで、2018年初夏の旅は終わりです。

初夏の福井の旅 三日目 一乗谷朝倉氏遺跡3

まだ、一乗谷朝倉氏遺跡です。

写真は上城戸です。要するに堀と土塁でシャットアウトしています。

続いて、下城戸です。上下で屋敷群を締め切ってます。

素晴らしいですね。

欲を言えば、あと2重ぐらいしてあれば、もっと堅固だったように思います。

でも、攻められない自信の表れとも取れますので、何とも言えません。

信長の話の続きです。

本能寺の変ですが、これも自分では加藤廣さんの本が一番納得できるイメージです。

要するに秀吉が殺し、光秀は担がれたということです。

そうでないと、中国大返しなんてホントにできると思いますか?

あらかじめ、秀吉の兵力の1/3~1/2ぐらいは姫路周辺にいたのではないでしょうか?

そうでないと、無理なように思います。

肝心なのは、信長死後への対応の早さです。

あらかじめ、用意されていたことのように、秀吉は物事を進めます。

結果的には信長も都合よく秀吉に利用されたような感じですよね。

話が秀吉の話になってますね。

それだけ、キーマンということですよね。

う~ん。ホント、タイムマシンでもあればなぁ。。。

桶狭間、本能寺、信玄の死、謙信の死、真田幸村の死、明智光秀の死、天草四郎とは何者なのか、を確かめたいところです。

ところで、福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館に行った所、変わったものを拝見しました。

将棋なのですが、1個、駒が多いのです。

将棋の得意な方は下の写真の詰将棋に挑戦してみてください。

1個、多い駒の役割とか動きとかは上の写真に書いてあります。

面白いものですね。

あと、ここで、またも焼き鯖寿司に出会ったので、食べてしまいました。

先日のものよりはあっさりしてますが、旨いです。これは800円でした。安い。

あと、ご当地コカ・コーラ。恐竜ですね~。

さすが、福井県。面白いです。

初夏の福井の旅 三日目 一乗谷朝倉氏遺跡2

一乗谷朝倉氏遺跡の続きです。

街並みを復元したところが見学できるので、見学してみました。

復元街並みは有料ですが、210円とお手軽な感じなので、気軽に入れますよ。

かなり良く再現されていて、見ていて面白いです。

信長の話の続きをちょっとさせてください。

まず、桶狭間の戦い。

ホント、どうやって勝ったのだろうと思います。

豪雨の中、奇襲で勝ったと言われていますが、ホントでしょうか?

この時、武功をあげた毛利新介、梁田政綱等へのその後の待遇なんかをみると、あまり厚遇されていないですよね。

加藤廣さんの著書で桶狭間を書いているものがありますが、あの中で今川義元に降参し、従属の為に参ったように見せかけて、だまし討ちした。というのがあります。

うん、そこですよね、だまし討ちしたのだろうと思います。

だまし討ちなので、奇襲したと嘘を言い、確かな情報が後々に残っていない。

どうもそういった感じなんだろうなぁ。と思います。

その本だと、訓練した犬によって殺害していますが、そこはどうかな?と思いますが。

秀吉がどの程度、そこで暗躍したのかは、ちょっとわからないですが、かなり、重要な役回りをしたのではないでしょうか。

その後の出世を考えると、腑に落ちます。

初夏の福井の旅 三日目 一乗谷朝倉氏遺跡1

三日目の一番最初の訪問地は一乗谷朝倉氏遺跡です。

以前より、ずっと、来たかった場所です。

どれだけの広さがあるのだろうかと思っていたのですが、予想よりも遥かに大きく感じました。

谷の入り口と出口の狭まった部分に土塁を設けて遮断して、中間部分に街を設ける。

なかなか、上手いやり方です。

北条氏の小田原城はさらに発展的なお城ですよね。

そこから、どんどん大きくなり大阪城や江戸城へとさらに発展していくわけですが、街を取り込んで防衛するというのは、この朝倉氏が割と初めのほうだと思います。

まして越前は当時かなり裕福な土地柄です。

当時、50万石近くあったらしいですしね。

明智光秀が足利義昭にここで出会ったと言われていますよね。

そこから織田信長に見いだされて、仕えていくわけですが、明智光秀も謎の多い人です。

本能寺の変もいったいどうなっていたことやら。

織田信長にまつわる謎というと、まず、桶狭間の戦いです。

続いて、本能寺の変、斉藤道三娘の帰蝶のその後。

いったい、どうなっていたのか。

ホント、信長は謎が多すぎるなぁ。

初夏の福井の旅 二日目 旧敦賀港駅ランプ小屋

金ヶ崎城を一回り散策したあとの道すがら、ランプ小屋なるものがあったので、寄って見ました。

あまり鉄オタではないのですが、物好きな性分なので見てみましょう。

鉄道のランプ(車で言う所のヘッドランプ)を電気ではなく石油ランプで使用していた時代のものとのことです。

ライト無しでの夜の運転は怖かったでしょうね。

興味ある方は読んでみてくださいね。

ランプ小屋新聞、マニアック過ぎです。はい。

ただ、斜め読みすると、明治十四年に敦賀駅から京都大阪方面に鉄道ができたみたいなことを書いてあり、そこからランプ小屋ができ、それから明治四十一年に敦賀でも電灯が使われ始めると段々と少なくなっていったようです。

この場所は、貨物ターミナルとして今でも面影が残っています。

さて、気比神宮へ向かいます。

初夏の福井の旅 二日目 丸岡藩砲台跡

道の駅なめりかわを後にして、東尋坊を目指します。

昨晩乗った北陸道にまた乗り、2時間ほど乗って金津ICで降り、東尋坊へ。

途中、道路工事中で、停車中に目に入ったのが、この丸岡藩砲台です。

嫁さんに「寄ってみようか?」と聞くと「はい。」と、話が早いです。

自分が歴史的なものが好きなのをよく分かってくれていますので助かります。

ホント、私の興味のものを阻害せず、文句も言わずいつもついて来てくれて、感謝しています。

丸岡藩砲台
丸岡藩砲台

眺めが良い所です。

丸岡藩砲台
丸岡藩砲台

まぁ、そうですよね。砲台ですからね。

丸岡藩砲台
丸岡藩砲台

結構、日本中、あちこちでこういった砲台跡なんかを見受けられますよね。

丸岡藩砲台
丸岡藩砲台

でも、ここは結構、しっかり残ってました。

丸岡藩砲台
丸岡藩砲台

大砲はさすがに無かったですが、砲門跡がしっかりと残っています。

丸岡藩砲台

いくつかありました。

丸岡藩砲台

なかなか面白いところでした。

丸岡藩砲台

説明板によると、江戸時代末期の外国からの圧力に対する備えとして築造とのこと。

丸岡藩砲台

幕末の頃の切羽詰まった感じが伝わって来ますよね。

今とは全く違いますねぇ。

欧米諸国は植民地政策ですからねぇ。

植民地にならずに、ホント良かったと思います。

ホント、日本は素晴らしい先人が多くて、今があるんだよなぁ。と思います。

福井県の公式恐竜ブランド、ラプトくん

蛇足ですが、工事のこういったキャラって結構、地元キャラなものが多いですよね。

ちなみに単管バリケードというらしいです。

これなんかは、福井なので恐竜ってことですしね。

[blogcard url=”https://www.juratic.jp/”]

よくよく調べると、福井県の公式恐竜ブランド、ラプトくんってことです。

こういうのにも見ていくと興味が尽きないですよねぇ。面白いです。

真夏の青森・秋田・山形を巡る旅 4日目 十三湖・絶景の呑龍岳展望台

義経寺から来た道を舞い戻り十三湖の西側を巡ります。

十三の砂山公園に立ち寄ってみました。

十三の砂山公園から眺める小泊岬方向
十三の砂山公園から眺める小泊岬方向

こちら上は小泊岬方向

十三の砂山公園から眺める福島城址方向
十三の砂山公園から眺める福島城址方向

橋を挟んで反対側が昨晩泊まった道の駅十三湖高原の方角です。↑

十三の砂山公園の赤い小さい灯台
十三の砂山公園の赤い小さい灯台

小さい灯台がありました。赤が綺麗でカワイイです。

十三の砂山公園は釣り人の多い所でした。
十三の砂山公園は釣り人の多い所でした。

我が愛車、フリード君も写真撮ってあげましょう。

日頃、頑張ってもらってますので、愛をこめて。

さて、十三の砂山公園を後にして、次は浜の明神遺跡に来ました。

安東氏が隆盛だった頃の十三湊の総鎮守だったらしいです。

浜の明神遺跡
浜の明神遺跡

浜の明神さまは神社ですので、お参りさせて頂きました。

また、ちょっと、戻って今度は十三湊の遺跡跡を見学しました。

十三湊の遺跡跡
十三湊の遺跡跡

全盛期はこの周辺に10万人の人が居たとか。

十三湊の遺跡跡
十三湊の遺跡跡
十三湊の遺跡跡、遺跡としては見学はできない感じです。
十三湊の遺跡跡、遺跡としては見学はできない感じです。

周辺は遺跡としては見学はできないので、ちょっと寂しいですね。

ですが、十三湊の遺跡の情報は市浦歴史民俗資料館に行けば資料が見れるそうです。

知りませんでした。

情けないことにあとから知りました。

情弱とはまさしく自分のこと。。

そんなアホな自分はさておき、素晴らしいビュースポットを紹介します。

十三湖を望む展望台として、私のおススメはここ呑竜岳展望台、綺麗です。

十三湖を望む展望台として最高の場所、呑竜岳展望台
十三湖を望む展望台として最高の場所、呑竜岳展望台

ちょっと、他ではなかなか見れない良い景色です。

十三湖を望む展望台として最高の場所、呑竜岳展望台
十三湖を望む展望台として最高の場所、呑竜岳展望台

ホント、ここは綺麗な風景です。

青森は絶景が多い所ですよね~。

なので、何度来てもいい所だなぁ~。。と思い3年目の夏です。