東海を巡る真冬の旅 長篠設楽原パーキングエリア下り

東名から新東名に入り、しばらく行くとちょっと以前から気になっていた、長篠設楽原PAに休憩も兼ねて立ち寄りました。

長篠・設楽原の合戦の観光案内板を読んでいると

長篠設楽原パーキングエリア下りの長篠・設楽原の合戦の説明板
長篠設楽原パーキングエリア下りの長篠・設楽原の合戦の説明板

馬防柵があったり

長篠・設楽原の合戦時に効果を発揮したと言われる馬防柵
長篠・設楽原の合戦時に効果を発揮したと言われる馬防柵

さらに奥を見れば信長の本陣だったとは。。。。

長篠設楽原パーキングエリア下りにある、長篠・設楽原の合戦時の織田信長本陣
長篠設楽原パーキングエリア下りにある、長篠・設楽原の合戦時の織田信長本陣

すいません。知りませんでした。勉強になりました。

長篠・設楽原の合戦時の織田信長本陣跡説明板
長篠・設楽原の合戦時の織田信長本陣跡説明板

ここまでしてあるなら、なぜ、対陣する武田側の方向を伐採してないのか?不思議ではあります。

なんと下の写真の景色は合戦には関係ない場所の景色です。

長篠・設楽原の合戦は左方向なんですよね。見えないんです。

長篠・設楽原の合戦時の織田信長本陣跡の西側の風景
長篠・設楽原の合戦時の織田信長本陣跡の西側なので、合戦とは関係ない風景

それでも今回、立ち寄りたい所の一端が見れたわけですので、ちょっと嬉しい。

それと自販機、設楽原の合戦絵巻になってます。

凄いですね。

長篠設楽原パーキングエリア下りにある、長篠・設楽原の合戦絵巻の自動販売機
長篠設楽原パーキングエリア下りにある、長篠・設楽原の合戦絵巻の自動販売機

織田&徳川自販機なんてのもありました。

 長篠設楽原パーキングエリア下りにある、織田家家紋・徳川家家紋の自動販売機
長篠設楽原パーキングエリア下りにある、織田家家紋・徳川家家紋の自動販売機

ということは、上り側は武田ってことですね。

上り側も見たかったけど、今回は無理。。

また、別な機会で、見てみましょう。

東海を巡る真冬の旅 本栖湖からの絶景の富士山 道の駅富士川楽座

岩殿城を後にして、お伊勢さんを目指しています。

東海の旅と書きながら、まだ、山梨です。

本栖湖からの富士山の眺め
本栖湖からの富士山の眺め

写真は途中の本栖湖からの富士山の夕景です。

余り、画質が良くないですが、場所というかここのポイントの良さに助けられていますね。

綺麗な富士山です。

ここちなみに、超有名な写真スポットです。

日本人なら必ず知ってるはずなんです。

千円札の富士山の場所なんです。

(お札載せるのは面倒ですね。そのまま載せると御用になるようで、写真を加工しました。)

千円札の富士山
千円札の富士山
千円札と同じアングルの富士山
千円札と同じアングルの富士山

ね。同じアングルでしょ。(写真を同じようなアングルにトリミングしました。)

ご存知の方も多いですが、まぁ、それだけ富士山を眺めるには良い場所ということで、どうしても紹介させて頂きました。

さ、旅を続けましょう。

途中、スーパーに寄ってご飯を仕入れます。

さて、一泊目はどこまで行こうかと、検索していると、道の駅富士川楽座が広くて良さそうでしたので、ここに決定しました。

道の駅富士川楽座
道の駅富士川楽座

寝袋は耐寒温度-15℃のやつだけを使用して寝たのですが、そのため朝方ちょっと冷えましたね。

場所としては割と静かで寝やすくて良かったです。

ただ、夜は写真にあるトイレは使用できないので、歩道橋を使って道の反対側の施設内のトイレを使うことになります。
トイレは綺麗でした。

ここも朝起きたら、富士山綺麗でした。

道の駅富士川楽座からの富士山
道の駅富士川楽座からの富士山 絶景です。

そして、ここには面白いものがありました。

聖牛です。水の流れを抑えるためのものですね。

武田信玄公が考案されたと伝わっています。

中聖牛
武田信玄公が考案したと伝わる、中聖牛

これ、利根川の千葉県立関宿城博物館にもありました。

治水に関するところで、たまに見かけたりします。

今でもこの方法は有効らしく、まだまだ利用価値があるようです。

水の流れを弱めて土手に当たる力を弱めるためにあるようです。

この当時としては、画期的な治水方法で、ここから色々な所に利用されたようです。

武田信玄公、ホント、こういう所があるので素晴らしい方ですよね。

ただ、現在は展示されていないようですね。また、展示されると嬉しいです。

さて、高速に乗って一気に伊勢神宮へ向かいます。

東海を巡る真冬の旅 山梨県大月市 岩殿城 岩殿山城

さて岩殿山城に到着しました。

ここ、久しぶりで、駐車場がどこだったか?と調べるとあまり書かれていないんですよね。

なので、いい説明用の写真が取れましたので、参考にアップしておきます。

岩殿山城の駐車場は黄色の丸で示してます。
岩殿山城の駐車場は黄色の丸で示してます。

黄色の丸のところが駐車場です。参考までに。

まぁ、岩殿山城を目指してくればまず大丈夫だと思います。

駐車場から道沿いに歩いて行きますが、登り口がちょっと分からないなぁ。。と思っていると、

前を歩く下校途中らしき中学生くらいの女の子達に「登り口はどこでしょう?」と聞いてみました。

親切に指をさして、「すぐそこの左から登れますよ。」とのこと。「ありがとうございました。」と返して、頑張って登城と行きましょう。

 丸山公園の下から望む岩殿山城
丸山公園の下から望む岩殿山城

しかしながら、つくづく思います。よくもまぁ、こんなところに城を作ったものだと。

岩殿山の説明板
岩殿山の説明板

そもそもは天台宗のお寺だったんですね。

修験の山でしたか。確かにそんな感じです。

少し登ると「岩殿山ふれあいの館」という城風な建物が見えてきます。

岩殿山ふれあいの館の入り口
岩殿山ふれあいの館の入り口

昔、来たときは無かったなぁ。

今、城巡りしてる人もかなり増えた実感がありますが、史跡を大事にしてもらえて整備して貰えるのは嬉しいなぁ。と思います。

こういった整備などをしてくださっている皆さんに感謝です。

岩殿山の案内図
岩殿山の案内図

「岩殿山ふれあいの館」はこの写真の丸山ってところですね。

岩殿山中腹からの富士山
岩殿山中腹からの富士山

振り向くと富士山が見えます。

なんだか、我々の登山(登城)を応援してくれているように思えます。

しかし綺麗です。

この景色が見れるからここはいいですよね。

「岩殿山ふれあいの館」から上に登って行くあたりからが傾斜のキツイ山道です。

ホント、結構、しんどい。

頑張って、頑張って、登って行くとやっと揚城戸跡が現れます。

岩殿山城 揚城戸跡
岩殿山城 揚城戸跡

ここまで来ればもう登ったも同然です。

揚城戸から本格的な城跡です。揚城戸は門跡とのこと。

抜けると番所跡があります。

岩殿山城 番所跡
岩殿山城 番所跡

下の写真は西物見台と言われた岩を安全のため(下に中央高速が走っている)撤去したらしいです。

確かに写真を見るとこれは落ちるとヤバいです。

グーグルマップとかで確認してもらえるとわかると思いますがホント高速が真下なんです。

あのインプレッサがギリギリ逃げたトンネル崩落事故もこの先のトンネルだったし。

事故が未然に防げるならば、史跡とは言え、こういった安全対策は大事ですよね。

礫岩の露頭を撤去した案内板
礫岩の露頭を撤去した案内板

岩殿山城は小山田氏の城では無く、武田の城であった。という見解があるそうです。

この件に関しては、まだ、そういう話があるという程度に収めておく感じではあるようです。

最近は今まで定説だったものが、研究が深まるにしたがって、置き換わることがあるようなので、うかうかしていられないですよね。

岩殿山城 馬屋跡
岩殿山城 馬屋跡

南物見台からの富士山。ほんと素晴らしい。

岩殿山城 南の物見からの富士山
岩殿山城 南の物見からの富士山 絶景ですよ。

縄張り図とまでは行かないですが、概略図です。

岩殿山城跡 案内図
岩殿山城跡 案内図

大手門を通って来ていないですが、今回はまぁ、良しとしましょ。

いずれまた稚児落としとかに行ってみたいので、その時にしましょう。

稚児落としですが、ご想像の通り、落城時の悲話に繋がるお話です。

岩殿山城の説明板
岩殿山城の説明板

下の写真は、馬場跡です、こんなに急峻なのに、馬が登れるのが凄いです。

ここから乗ったまま出撃してたのでしょうか?

馬に乗ったこと無いので分からないですが、ちょっと怖いですね。

正面、真っすぐ登って行くと本丸です。

正面、右手に行くと円通寺方面の道です。

岩殿山城 馬場跡
岩殿山城 馬場跡

その手前に水場です。

二つあるのは上側(写真右)が人用で、下側が馬用とのことらしいです。

岩殿山城 水場もしくは井戸
岩殿山城 水場もしくは井戸

水がちょっとあります。

池とありますが、掘れば少し水が出そうではあります。

しかし、こんなに岩山ですが、山頂で水が出るとなると、ホント、城を造らずに、何造るんだという感じですね。

これだけ好条件が揃う所も珍しいですよね。

難攻不落、この言葉がピッタリです。

岩殿山城 水場こちらは人用
岩殿山城 水場こちらは人用

用水池との説明、説明には山側が人用、崖側が馬用とあります。

岩殿山城 水場 説明板
岩殿山城 水場 説明板

馬用はしっかり水がありました。

岩殿山城 水場 馬用
岩殿山城 水場 馬用には水がありましたよ。

さて、本丸を目指します。

途中の蔵屋敷跡

岩殿山城 蔵屋敷跡
岩殿山城 蔵屋敷跡

本丸跡です。

岩殿山城 本丸跡
岩殿山城 本丸跡

現在はテレビ塔となっています。2つ建っていました。

山城の場合はたまにアンテナが立っていることがありますよね。

史跡も大事ですが、地元住民の方の生活も大事です。

岩殿山城 本丸跡のアンテナ塔
岩殿山城 本丸跡のアンテナ塔、右手、土塁残ってますね。

岩殿山城は規模は小さい城ですが、難攻不落だなぁ。。。と改めて思い知らされますね。

ここは攻めるのではなく、囲んで兵糧攻めで落ちるのを待つしかないお城ですね。

岩殿山城の屏風のような岩
岩殿山城の屏風のような岩

ちょっと下って改めて撮ってみました。ここから見ると城を攻めるのは絶望的に感じますよね。この上に城があるんだからなぁ。。

岩殿城と岩殿山城という二通りの言い方がありますが、最近は岩殿山城というようです。

今回は岩殿山城と書きました。

ただ、武田贔屓の自分にとって、武田勝頼公の最後を思うと、いつも切なくなります。

また、近いうちに景徳院へお墓詣りして来よう。そして恵林寺へも。

武田信玄公と武田勝頼公の本は色々と読みましたが、新田次郎さんの本が読んで見て一番いいように思います。

あと、最近では、この本が注目ですね。

元亀2年の信玄の三河侵攻は無かった・・・ということになりそうです。

東海を巡る真冬の旅 山梨県大月市 猿橋

さて、お伊勢参りをまず目指すのですが、その前に山梨県大月の岩殿城を目指しています。

これはちょっとまた、後で説明しますが、スマホのGPSによる城取ゲームの為です。

岩殿城は以前にも登城したことがあるのですが、今の時期行くと綺麗な富士山が見れますので、何回でも登城したくなる場所でもあります。

とはいえ、かなりな登山で大変なのですが。。

岩殿城を登城すべく20号線を下って行くと中央高速の渋滞ポイントで有名な猿橋バス停のそばにありました。

何が?って、猿橋です。猿橋。

「猿橋ってホントにあるんだ~」と思いながら、立ち寄って見ました。

日本三奇橋の一つと言われるようです。

日本三奇橋ってのも微妙ですが、変わったものは見てみたい派なので、ちょっと見学。

日本三奇橋とは、

  • 甲斐の猿橋 :木造で現存してます。
  • 岩国の錦帯橋:木造で現存しています。あの有名な錦帯橋ですね。
  • 富山の愛本橋:こちらは木造ではなく、現代造りのアーチ橋になっています。黒部市歴史民俗資料館に模型があるようです。


とのことです。

確かに構造的にアーチ式ではなくて梁というか土台部分を岩盤に長く差し込んで持たせてあるのは面白いですね。

かなり工夫している様子がわかります。

基礎になる下側からの梁の部分はどれだけ地中に埋まっているんでしょうか。

ちょっと分かりませんが、面白いことに、下からの梁の部分から上に向かっていくと、丸く弧を描いているのが分かりますね。

太鼓橋とまでは行きませんが、やはりアーチ的な感じにしているのが効いているのでしょうね。

昔の大工さんも素晴らしいよなぁ。と感心します。いつまでも、残してほしいですね。

ここから下を眺めるとなかなか綺麗なところです。

かなり深い渓谷ですが、橋は絶妙に狭いところに掛かってますね。

昔からこの場所は地境のため争いが絶えなかったようです。

武田信玄公の父親である武田武田信虎公と上杉憲房公(山内上杉家、後の謙信公が三代後に養子になる上杉家)で争っていたり、武田信長公(のちの上総を治めた初代真理谷氏)と足利持氏公(鎌倉公方)が争ったりしていますね。

たしかに橋を作ればそこが係争地に発展する場所ですねここは。

細かいことは猿橋のWikipediaに譲るとして、「猿橋」ってホントにあるんだ~。という思いと、意外と面白い構造だなぁ。と。

意外と良いものが見れて良かったです。

こういった建築物が大好きなもので、なるべく見ておきたい感じです。

ちなみに下の地図にも表示されている、大月市郷土資料館に精巧な猿橋の模型が展示されていますので、ご興味のある方はそちらも見学されると、より一層知識が深まるかと思います。

さて、当面の目標の岩殿山城を目指しましょう。