2022/05/06に訪れました。
立花宗茂公と丹羽長重公に所縁のある土地柄ですね。
立花宗茂公は大好きな武将で、素晴らしく正々堂々と生きられた方だと思い尊敬します。
何の因果か、嫁の母方の実家が福岡の柳川でして、その実家は元は棚倉出身と伝えられているとのこと。





いつか来てみなければという思いがあり、立ち寄らせて頂きました。
実際には立花宗茂公の頃は、赤館城跡(現在の赤館公園)に居て、棚倉城を造られたのは、立花宗茂公の後に入った丹羽長重公ですね。
この方も割と好きな方でして、非常に何と言うか、堂々とした振舞を感じますし、清々しい生き方をされた方だと思います。
両名の方に共通するのは、関ケ原で家が潰れたにも関わらず、後に10万石を超える大名に復帰した稀有な方です。
立花宗茂公はその優れた(気を見るに敏な)戦術眼で、そして丹羽長重公はその優れた築城術で、復帰を果たしたのだと思います。




芸は身を助くと言いますが、それを地で行くようなお二方です。
どちらの方も大河の主人公であってもおかしくないと思う波乱に富んだ人生を歩んだ方だと思います。
さて、そんなお二方が過ごした頃に思いを馳せながら、棚倉城を巡って見ましょう。




棚倉城は小さいお城ですね。
城だけを見ると、それほど凝った縄張りでもないです。
舌状台地の上にあり、想定される攻め口が北西からなので、そちら側に三の丸が築かれています。
とはいえ、 伏兵として、赤館城も残っていますし、都都古和氣神社(馬場都々古別神社)や、現在の棚倉消防署辺りへも伏せておくことができるように思います。
そのようにしておけば、ある程度は反撃を仕掛けることもできただろうし、劣勢を覆せる手段として有効かもしれませんね。
築城中に白河へ転封となったとのことなので、本来は三の丸の外にも北側に舌状台地を横断する空堀を作るつもりではなかったのかな?と思います。



ちょうど作りやすそうなところがあるので、そこを見逃すことは無いだろうと思います。
なので、予算と時間があればもっと大きな城の縄張りだったのではないかと思います。
ところでお堀をぐるっと巡っていると、パタパタ~と鳥が二羽追いかけっこしています。





何だろうと目を凝らしてみると、カワセミがお堀を巡って縄張り争いをしていました。
おぉ、カワセミ撮れるかなと思い、頑張りましたが、短い時間ではちょっとダメでした。
二、三度魚を捕えているなぁ。とは見えたのですが、定位置に居てくれない(魚を捕まえるポイントが多い為かな。)ので、右往左往しているうちにしばらく待っても来なくなり、諦めて馬場都都古別神社へと向かいました。
そんな感じで、親戚の叔父さんのご先祖様はこの辺りから来たのだなぁ。と思いながら、お城を後にしました。