東海を巡る真冬の旅 六日目 新城市 長篠城

続いて長篠城です。ここが早く落とせていたらまた、その後の設楽原の合戦は展開が違ったものになっていたかも知れませんね。

長篠城縄張り図
長篠城縄張り図

正に武田家にとっての運命の分かれ道。

写真にある通りこの時点で武田は最大版図となっています。かなりな勢力です。

長篠城攻城時の武田版図
長篠城攻城時の武田版図

ここでの勝頼公の大きな選択が、その後の衰退へ導かれて滅亡となりました。

左側二の丸と右側本丸を宇連川方向へ臨む
左側二の丸と右側本丸を宇連川方向へ望む

自分が思うに決して武田勝頼公は愚鈍な人では無かったと思います。

自分が思うのは財力とカリスマ(斬新的な知力を含めた)の差ではないかと思います。

左側本丸で右側二の丸
左側本丸で右側二の丸資料館方向を臨む

この兜が物語るように、鉄砲を最大限に生かす戦法への転換点となったことが大きいです。

赤い槍が有名な長坂血槍九郎の槍
赤い槍が有名な長坂血槍九郎の槍

織田はこれまでの間に、大阪本願寺との戦で、雑賀との戦で鉄砲を用いた戦を嫌というほど負けながら実感していることが大きいです。

兜に鉄砲の弾痕
兜に鉄砲の弾痕

その負け戦から学んだ鉄砲活用法をさらに進化させて、上手く野戦に用いたというところが信長の凄さですよね。

長篠城址の碑
長篠城址の碑

負けても死ななければ良い、そしてまた戦して、また負けて、段々と戦が上手くなっていく、そういう判断力ってなかなかできないものです。

本丸から真中左の資料館を臨む
本丸から真中左の資料館を臨む

逆に武田はこの時点で信玄公の行った戦のやり方からはあまり進歩していないのですよね。

攻城側の武田軍の陣に関して
攻城側の武田軍の陣に関して

この辺りの差が非常に大きかったのだろうと思います。

本丸先にある川の合流点に近い野牛郭
本丸先にある川の合流点に近い野牛郭

しかし、遺言通りに上杉謙信公と和睦していればなぁ。。この戦自体勝っただろうと思います。

長篠城周辺の史跡マップ
長篠城周辺の史跡マップ

しかし、ホント要害の地ですよね。

長篠城、500人で守ったのだからなぁ。。

まぁ、確かにあまり大きい城ではないです。

国土地理院の地図で見てみましょう。

地続きの北側しか攻めるところが無いですよね。

なので、こちらに水堀、空堀が巻いているのが分かるかと思います。

攻めにくい城だったことが良くわかりますよね。

合戦場との位置関係はこんな感じです。