高龗神社から、さて、次にどこ行こうかと、また、調べると、大井田城という所がそばにあります。
十日町市博物館を見学した際に見た、大井田城のジオラマがあったのを思い出しましたので、城好きの自分は実際に行ってみました。
ジオラマはこれです。
大井田城は良く整備されていて、大変、見やすかったです。
縄張図はこんな感じです。
先ほどの高龗神社を創建した、大井田氏のお城ですね。
大井田氏は、上野の新田氏がこちらに土着して、大井田氏となったとのこと。
新田氏なので、新田義貞公が旗揚げの際には、もちろん真っ先に馳せ参じ、鎌倉幕府、倒幕に功績があったと言われています。
なので、当然ながら、南朝方として、各地を転戦したいたようです。
なかなかに素晴らしい方ですよ。侮れません。
お城の感じは、ジオラマの写真を参考にしてもらうと分かりやすいです。
南側は山頂から続く尾根は細く、そこをさらに堀切を2段にしていてまず攻めては来れないです。
東側の斜面も急すぎて崖となっていて、こちらも手を施す必要は無しです。
攻め口は、北に広がって郭が展開していますので、北と西側になるわけですが、西側も攻め口となる所には、竪堀がいくつも連続で連なり、畝型阻塞(うねがたそさい)を成しています。
畝型阻塞とは、畝状竪堀とも言ったりして、まだ、ちょっと定まった言い方に収まっていないですね。
なので、ほぼ北側からの攻め口になりますが、こちらにぐるっと巡る空堀が無いですね。
北側に2重に空堀があれば、かなり強くなったように思います。
とはいえ、ここにはそれほどの重要性が無かったのでしょうね。
眺望が良く、信濃川が良く見えますねぇ。
おそらく、信濃川の見張り場所として、かなり立地が良かったのだろうと思います。栄枯盛衰、時の流れを感じますねぇ。。