真夏の新潟を巡る旅 二日目 大井田城

高龗神社から、さて、次にどこ行こうかと、また、調べると、大井田城という所がそばにあります。

十日町市博物館を見学した際に見た、大井田城のジオラマがあったのを思い出しましたので、城好きの自分は実際に行ってみました。

ジオラマはこれです。

大井田城は良く整備されていて、大変、見やすかったです。

縄張図はこんな感じです。

先ほどの高龗神社を創建した、大井田氏のお城ですね。

大井田氏は、上野の新田氏がこちらに土着して、大井田氏となったとのこと。

新田氏なので、新田義貞公が旗揚げの際には、もちろん真っ先に馳せ参じ、鎌倉幕府、倒幕に功績があったと言われています。

大手口から本丸を望む

なので、当然ながら、南朝方として、各地を転戦したいたようです。

なかなかに素晴らしい方ですよ。侮れません。

西側を望む

お城の感じは、ジオラマの写真を参考にしてもらうと分かりやすいです。

南側は山頂から続く尾根は細く、そこをさらに堀切を2段にしていてまず攻めては来れないです。

最下部の郭から東方向を望む

東側の斜面も急すぎて崖となっていて、こちらも手を施す必要は無しです。

攻め口は、北に広がって郭が展開していますので、北と西側になるわけですが、西側も攻め口となる所には、竪堀がいくつも連続で連なり、畝型阻塞(うねがたそさい)を成しています。

畝型阻塞とは、畝状竪堀とも言ったりして、まだ、ちょっと定まった言い方に収まっていないですね。

本丸からの北東方面

なので、ほぼ北側からの攻め口になりますが、こちらにぐるっと巡る空堀が無いですね。

北側に2重に空堀があれば、かなり強くなったように思います。

西側、十日町方面、畝型阻塞は良く見えませんでした。

とはいえ、ここにはそれほどの重要性が無かったのでしょうね。

眺望が良く、信濃川が良く見えますねぇ。

おそらく、信濃川の見張り場所として、かなり立地が良かったのだろうと思います。栄枯盛衰、時の流れを感じますねぇ。。