太平山神社 栃木県栃木市平井町659

色々と突っ込みどころが多い、岩下の新生姜ミュージアムでしたが、この日最後に太平山神社へ参りました。

途中、謙信平と言われる所があったので、車から降りて見学です。

謙信公は一般的にクリーンなイメージが強いですが、自分はそうでもないです。

冬場の出稼ぎに関東に出馬して、戦に負けた人を奴隷にして人身売買していたというイメージのほうが強いです。

戦に強いとはいえ、そういった側面も持っていた人だということを理解して欲しいですよね。

ある面では、関東管領という権威を笠に着る権威主義者の面もあるように思います。

権威で世の乱れを糺す。

そういったことをしたかったようにも思えます。

謙信平から歩いて大平山神社へ行きました。↑

義の人と言われますが、それも謙信公のある一面ですからね。

信玄公も同じく奴隷にして、男は金山人夫、女は金山の宿場で働かされるといった具合です。

後北条氏が一番まともだったのではないでしょうかね。

後北条氏の税制は四公六民ですからね。当時、良くて五公五民、悪くて六公四民が普通です。

秀吉はかなり酷くて、七公三民ですからね。

そりゃ、お金も溜まりますよね。

御朱印も二面だと千円で、1面だと300円ってどうですかね。なぜ3倍強なのか。。↑

それ以外にも秀吉はいろんな悪い話がありますが、それはまた違う所で。。

御朱印が季節で変わるようです。御朱印商法ですなぁ。↑

後北条氏はもっと見直されて良いのですけどね。

北条氏康公なんて素晴らしいのだけど。

後北条氏が戦争に負けて違う大名が領主になると、農民が北条に逃げるなんてことは普通だったらしいです。

だから農民を大事にした北条はだんだんと支配域を広げていくことができたわけですよね。

ところで、大平山神社は謙信平から歩いて行った方がフラットな道を歩いて行くので、楽だと思います。

行った時間がちょっと遅くて御朱印は頂けませんでした。

近いのでまた来ましょう。

しかし、御朱印商法も最近は凄い感じになって来ましたね。

日によって変わる。季節によって変わる。2枚押し。色が変わる。とか。

いろんな付加価値を付けていくわけですが、自分はスタンダードな物だけで充分です。

あまり、踊らされるのは好きじゃないですね。

ただ、こんなに御朱印が流行るとはなぁ。。

ちょっと前までは、普通に書いてもらえたのだけど。

ちょっと、過剰な感じですよね。なんか、怖いです。