阿津賀志山防塁

2022/05/04 GWの旅行中に通りがかったので、寄って見ました。

左手が鎌倉側が布陣した寄せ手側、右手高台が奥州藤原氏の守り手側
二重の堀だったことが分かりますね。ここは分かりやすい。

今、大河ドラマも鎌倉時代ですので、ちょうど良いタイミングですね。

ここ阿津賀志山防塁は、奥州藤原氏が源頼朝軍からの侵攻を防ぐ防御の為に構築した防塁(二重堀)ですね。

ここで頼朝軍と奥州藤原軍が2日間に渡り攻防を尽くして、頑張りましたが藤原氏は負け、これ以降は大きな戦いはなく、滅亡となるわけですね。

城とは違いますが、4kmに渡る堀を作るのは大変なことだったと思います。

これはこれで凄い規模のものを作ったものだと思いまよね。

奥州藤原氏にとって、藤原秀衡公が無くなったタイミングが悪かったというか、頼朝がその死を待っていたというか、その点が非常に悔やまれるところです。

それが奥州藤原氏を支えてきた家臣団(当時は奥州藤原氏でも鎌倉風にいえば御家人と称していたのでしょうかね。)にとってはまた非常に悲壮感を感じさせるものとなったのではないでしょうか。

頼朝にすれば勝利したことで、後ろを脅かす勢力が無くなった訳で、貢献したものには、土地の再分配を行い、基盤固めに邁進したことになります。

歴史の分岐点ですよね。