三春城跡(舞鶴城跡)

2022/05/05 久々のお城です。

本丸、秋田氏に関わる慰霊碑がありました。礼を尽くします。

ここ最近の信長の野望に必ず出て来るお城ですね。

本丸の下にある郭の駐車場からの登り口

今年は新しい信長の野望が出るとのことなので、既にアマゾンで予約して待ちわびています。

上と同じですですが、本丸周辺の斜面の角度は結構な物がありますよ。
後から削って角度を付けてるのは間違いないです。

信長の野望の中での各城の評価は、自分的には偏っているなぁ。と思います。

階段を上がった所は矢倉跡、新しい表示板では風呂屋とありますね。う~ん、直した方が良いですよね。

実際に行って見ると、「うぉ~~、こんなところ、ホントに落ちるのか?」という所がいくつもありました。

矢倉跡から上がると二の丸?とありますが、案内図にはここは本丸となっています。
自分も二の丸とまでは言えないように思えますので、本丸脇郭とでも言えますでしょうか。

その最たるものは「檜山城」と「脇本城」でしょうか。

舞鶴城とも言われるようですね。

凄く広大でいくつもの尾根筋に郭があり、想定される周辺の攻め口には対応する郭が用意してあるという徹底ぶり。

三春城跡に関する木造の表示板

なので、自分の中の安東氏の位置づけは非常に高いものになっています。

秋田氏時代(江戸時代)の縄張り図

ということで、安東氏=秋田氏なので、訪れたという訳でもあります。

最近建てられた詳しい表示板、結構、しっかりと書かれているので良いですね。

現在の縄張りは秋田氏になってからの縄張りとのことです。

この地を治めた大名とその家紋、左から順に田村氏、松下氏、秋田氏

秋田氏は明治維新まで取り潰されず残った名家ですね。

上側(右側)が本丸、屋敷

自分の中では安倍貞任の後裔ではないだろうか。という説に乗りたいと思っています。

左のつつじの右が本丸の秋田氏慰霊碑がある石垣

蝦夷と朝廷の長い戦いを戦った歴史は知れば知るほど凄い歴史だったのだなぁ。と思います。

その本丸の慰霊碑から南方向

自分の場合は高橋克彦さんの小説を読んで東北の歴史を知った訳ですが、そこから自分なりに色々と調べたりして気になる所には立ち寄っているつもりです。

本丸から北方向

この三春城の規模は「檜山城」「脇本城」には比べるべくもないですが、宝来寺、三の丸の備えなどと、別の山となる月齋館などは、その流れを汲むことが窺えるように思えます。

本丸から東方向

小さいですが、よく考えられたお城ですよね。

本丸東側を南方向

明治維新では戦火に晒されること無かったようですが、良い城だと思います。

本丸の大木、立派でした。

皆さんにもおススメです。

ちょっと洒落た方位表示石板

ちょっと、写真が多くて記事よりもはみ出てますが、そんなこともあるのが自分のブログらしさです。www

本丸から脇郭(二の丸)

これからもご愛顧頂けると嬉しいです。

こっからはほぼ写真が多いので、惰性で書いてます。

本丸から南側

あぁ、そういえば、最近、城めぐりをすると、駆け足で城をみて写真もしくはビデオを撮って速攻で次へと走る方を見受けます。

続日本100名城選出おめでとうございます。ホント、すばらしいお城だと思います。

あれって、どうなんでしょうか。楽しいのでしょうか。

本丸脇郭(二の丸)西側からの三春の街の眺め①

本人が良ければ良いのでしょうけど、あまり城の成り立ちとか攻め口とかそう言ったことは考えては回っていないような感じがするのですが、どうなんでしょうか。

上と同じでですが、角度がちょっと右手方向②

自分の見解だと、戦国初期にこの縄張ならば、兵糧攻め以外落ちないと思います。

逆に脇郭の西から本丸方向

幕末動乱期だと、射程距離のある大砲が出て来るので、周辺の山からの砲撃にさらされるので厳しいだろうなぁ。と思います。

本丸脇郭(二の丸)西側からの三春の街の眺め ②のさらに右方向③

自分的には幕末からの戦はあまり好きじゃない(単なる破壊行為、大量破壊兵器へ向かってしまう)ので、自分的には戦国中期位までの戦には華があっていいなぁ。と思っています。

本丸脇郭(二の丸)西側からの三春の街の眺め ①とほぼ同じ④

というわけで、自分の城攻めの物差しは戦国中期から終盤位の鉄砲が出始め位の考え方になっています。

本丸脇郭(二の丸)西側からの三春の街の眺め ②とほぼ同じ⑤

要するに信玄公、謙信公頃の時が一番好きですね。

やっぱり二人とも格好いいし、お互いののしりあいながらもリスペクトしあっていた感じが今でも伝わってくるのが凄いですよね。

仮に謙信公が生まれていなかったとしたら、越後から越中、越前と攻め上がる信玄公の姿が思い描かれますよね。

そして逆もまた然りで関東を席巻し、平定する謙信公の姿が思い描かれます。

歴史にIFは無いですが、そんな歴史も見てみたいと思います。

自分、信長公はあまり好きじゃないので。