続いてホントすぐそばにある亀山城を見学しました。
直線距離で1kmしかないです。
歴代の奥平氏の城ですね。
調べてみると、奥平氏は我が埼玉県北部からもほど近い群馬県甘楽郡から南北朝時代にこちらに移って来たようですね。
案外、色んなところで親近感が沸くもんです。
鎌倉の頃の武蔵七党のうちの児玉党の流れというと、なんか、親戚みたいな感じなんですよね。
というのも、自分も武蔵七党のうちの丹党の流れみたいなので、非常に近い関係なのかもしれません。
自分のルーツを調べるのとか、面白いですよね。
私のおじいさんから聞いた話では、おじいさんのおじいさんが飲む、打つ、買うの三拍子で家を潰したらしいです。
その当時、私の家はそのあたりの庄屋だったらしく、かなり広大な土地を持っていたらしいです。
その前は武家だったとのこと。
街道筋に対しての防御力が強くなっている。
なので、おそらく江戸時代初期に武家から庄屋に転向したのではないかと思います。
なので、おそらく武家の終わりは後北条氏の家臣で、北条攻めで武家を辞めたのではないかとおもいます。
家系図とかが残っていないので、憶測ですが、大筋間違ってはいないように思います。
亀山城の話に戻りましょう。
ここも西側に南から北に抜ける街道筋を抑えるため、西側の防御力が強いです。
縄張り図にはないですが、城の東側に居住区があったようです。
いわゆる根古屋ですね。
奥平氏の武田から徳川への離反で、長篠設楽原の合戦が始まるので、この辺りのところはそういう歴史の1ページを飾る面白い所です。
また、長篠設楽原の合戦地へ行きたいなぁ。
亀山城跡の地図を載せておきますね。