真夏の青森・秋田・山形を巡る旅 3日目 浪岡城

素晴らしい景色の夏泊半島から、移動して趣味で巡っている、城めぐりです。

場所は浪岡城もしくは浪岡御所といいます。

浪岡氏(北畠氏)による築城と伝えられています。

浪岡城縄張り図
浪岡城縄張り図

国土地理院の印影起伏図で見てみると、以下になります。

国土地理院の印影起伏図
国土地理院の印影起伏図

よく分かりますよね。上記の縄張り図のままですね。

南側に対しては強そうですが、北側は弱そうな感じですよね。

ただ、ここ、規模が大きいです。

こんなに平城で立派だとは思っていませんでした。

浪岡城の東館から北館へ向かう
浪岡城の東館から北館へ向かう

東館から北館に向かうところです。

浅くなっている所は堀跡ですが、右側は外郭になります。

この写真の正面は堀を渡って橋になっていますが、郭ではなく二重堀になっていて(堀の中に通路として道をつけている、畝状の土塁がある)、防護力を高めているようです。

浪岡城の北館、板塀で当時の屋敷の大きさが偲べる
浪岡城の北館、板塀で当時の屋敷の大きさが偲べる

要するに郭から郭にへの移動にはその連絡道になる所(畝状の土塁)を通らねばならず、そこを細くしているので、狙い撃ちしたいということなのでしょうね。

浪岡城のジオラマ
浪岡城のジオラマ

南北朝で新田義貞を支えた北畠顕家公の流れとか、その弟の顕信の流れとか言われているようですね。

南部氏に庇護されて来ていたようで、当時も公家として官位などを都へ問い合わせる窓口になっていたことが残っているそうです。

浪岡城 北館の変遷
浪岡城 北館の変遷

北畠氏は名家で公家系なので浪岡御所とも言われていたとのことです。

なので、館程度のものかと想像していたのですが、予想を遥か上回っていました。

浪岡城の南側、西側の堀跡を眺めてます。
浪岡城の南側、西側の堀跡を眺めてます。

実際の戦闘は大浦為信氏が戦国末期に落としていますが、自分の部下を潜入させて放火させて落城という手段を取っています。

浪岡城の南側、虎口の感じが残ってますね。
浪岡城の南側、虎口の感じが残ってますね。

まぁ、ちょっとその時は大浦為信公は寡兵でしたから、手段は選んでいられなかったのでしょうね。

割とその当時の大浦為信公は悪名が高いほうですよね。

勢力を伸ばすには、なんでもやる感じです。

下剋上的な泥臭く狡賢い感じがあります。

だからと言って、嫌いな訳ではないですね。

持てる力を最大限使った結果ですので、やっぱり素晴らしいと思います。

浪岡城の南側の堀跡を東に望む
浪岡城の南側の堀跡を東に望む

いろんな勢力の間を、上手く立ち回って津軽藩が立藩され、明治維新まで続いてきた訳ですから、時流を読む目は素晴らしかったのだと思います。

津軽なので、今回は大浦為信公の所縁の所を巡っているのも多少あります。

浪岡城の内館への橋
浪岡城の内館への橋

弘前城は2年前に見ているので、今回はパスです。

浪岡城内館から西館を望む
浪岡城内館から西館を望む

しかし、趣味ですが、自分は多いかも知れません。

浪岡城の内館、かなり広いですよ。
浪岡城の内館、かなり広いですよ。

そもそも城巡りは、小説の武田信玄を読み始めた頃(大河ドラマで武田信玄をやっていた時期)に、信長の野望が売り出されていたので、やっていて面白くて、信長の野望に出てくる武将を調べている(小説を読み漁る)うちにのめり込んでいます。

きっかけはそんな感じですが、もう30年以上経っているわけですねぇ。。

そんなわけで、信長の野望は未だにすべて購入して行っています。

しかもここ何十年も信長でやったことは無く、信玄、謙信、北条、佐竹、毛利、島津、長曾我部あたりでしかやりません。

信長が基本的に嫌いなんですよね。

あのゲームは自分の中では信長を倒すゲームです。www

それと、ブログにも書いてます、スマホの城巡りのゲームですかね。

あれはゲームというか記録ですかね。

今、約2000城を攻略してますが、この先は見たところばかりなので、伸び悩むと思います。

ゲームはあとはグランツーリスモが好きでこれもすべてやっていて、ハンドル型のコントローラーを持っていたりします。ww

アホですな。。。

あと、ゲームはFFシリーズをやったりしますが、RPGは凝ると長いので、最近はあんまりやらないです。

ちなみにPS4でドラクエやりましたが、クソゲーでしたね。。

何の進化もない、スーファミと同じ、画像が綺麗なだけ。。。

いまさら、あのやり方とは思いませんでした。

一切、しゃべらないしなぁ。。今時、あれは無いだろうと思います。