2017年8月17日に訪れました。書いてないですけど、夏の東北旅の終わりに訪れました。
後北条氏の下野・常陸攻略の拠点ですね。
まずは地形図です。地図は国土地理院の地図です。
周囲は現在、田んぼが広がりますが、低くなっているところは飯沼と言われた南北に30kmほどと長い沼だったようです。
もう少し引いた図も上げておきます。かなり長いのが分かると思います。
ここは城跡公園としてかなり整備されていて、当時の雰囲気をほぼ正確に表現していると思います。
いい感じの櫓ですよね。
土塁の上に塀が巻いていていいですね。
綺麗だと思います。
ここは湿地帯だったので、水掘りだったと思います。
二階櫓に登って見ましょう。
二階櫓から見るといい眺めですね。
井楼矢倉、ここにも登って見ましょう。
高さがあり、結構、遠くまで見えますね。
これなら、しっかりと戦況を見渡せることができたのではないでしょうか。
これに登って、階段を降り、最後、土の部分で、足がツルっと滑り、お尻からスコーンと転んでたのは私です。
この後、お尻、泥で真っ白で、城めぐりをしましたぁ~~。
「怪我したらどうするんだ~」と嫁に怒られましたねぇ。ハイ。
そんなこと言っても、関東の土のお城は滑りやすいようにできているんだから、効果を実感したと思えばいいじゃないですか。ねぇ~。
下の写真の所は船出し場だったようです。
下の写真は馬出(古城とも言う)の所
下は馬出から本丸方向
堀の感じがいいですね。
下の写真の左が本郭側だったように思います。
見た目の深さは3mぐらいですかね。
実際には、もっと角度と深さが付いていたのでしょうね。
恐らく5mくらいあったのかもしれません。
この辺が一番堀とすると深い所だったと思います。
土塁もだいぶなだらかになって来ていますね。
下の写真の観音堂は大安寺(旧岩井市)にあったものを譲り受け、移築・復元したもの。とのことです。
建物解体時に、天正16年(1588)建立時の棟札と弘化2年(1845)再興時の棟札が発見され現存しています。とのことです。
凄いですね。良く残ってました。
下の写真、関宿城薬医門と言われ、関宿城の城門と言い伝えられるこの門は、本柱が門の中心線上からずれており、薬医門と呼ばれるものです。
逆井城、素晴らしいお城でした。
当時に忠実なのが、いいです。
こういったお城を復元して欲しいですよね。
なんでも、模擬天守作っても仕方ないですよね。
再現図がちょっと間が抜けていて実際には周りが沼に囲まれているんですけどねぇ。
縄張り図は余呉さんのページがおススメです。
自分的には当時の雰囲気が伝わってきて、ホント、良いお城で、オススメだと思います。