東海を巡る真冬の旅 七日目 島田市 諏訪原城

さて、お城ばかり見てますが、本日最後もお城です。

お城は丸馬出が有名な諏訪原城です。

諏訪原城縄張り図
諏訪原城縄張り図

ここも前回、高天神城を訪れた際に一緒に見学しましたので、今回で2回目です。

諏訪原城の丸馬出
諏訪原城の丸馬出

ここは丸馬出が凄い規模で作られていて武田流築城術の後半期の代表例だと思います。

丸馬出が最近は武田が作ったものか?どうか?という話も出てきているようです。

丸馬出の規模が大きいものは徳川が作ったのでは?とも言われてきているようです。

武田の城の作り方から学び改良したということでしょうかね。

こちらも諏訪原城の丸馬出
こちらも諏訪原城の丸馬出

丸馬出の極め付きは新府城でしょうか、新府城もかなりな城です。

完成してしっかりと籠城したならかなりなものだったのではないかと思い悔やまれる所ではあります。

諏訪原城から東の島田駅方向を眺める
諏訪原城から東の島田駅方向を眺める

武田流築城術は山本勘助から馬場信春そして真田昌幸、そして幸村へ引き継がれていったわけですね。

国土地理院の地図で見てみましょう。

国土地理院の地図から諏訪原城を見てみる
国土地理院の地図から諏訪原城を見てみる

丸馬出がはっきりわかります。

ここは昔の東海道を確保するために築城したのですが、東、北からの攻撃には斜面がキツク防御が強いと思いますので逃げ道として確保、西、南からの攻撃には丸馬出で凌ぐという考えのようです。

ここを築城してから、高天神城を陥落させています。

そして、ここ諏訪原城と高天神城とのラインが強くなり、二俣城とのラインを強くしたかったでしょうね。

しかし、なんで、西から攻めて来る方向を弱くしたんでしょうね。

自分がこの辺りに築城するなら、もうちょっと西北(左斜め上)のくびれた部分に、堀切を付ければもっと堅固な城ができたのではないでしょうか?

水が出なかったのでしょうかね?

ちょっとわかりません。

東海道を見下ろす感じにした方が良いように思いますが。

その際には馬出はできなそうですけど、左右に馬を出せるようにしておけば良いように思います。